ルソン壺ってどんなツボ?





第8話 | ルソン壺ってどんなツボ?

ルソン壺,正体,千利休,価値

 

 

頑張る時に使う言葉『一所懸命』

 

 

この言葉は、戦国時代を含む日本の中世で、武士たちが命懸けで手柄を立て、主君から土地を貰ったことからできました。

 

 

つまりかつての武士は、ひとつの土地(一所)をもらうために命を懸けて(懸命)戦い、ようやく小さな土地(所領)を貰っていたワケですよ。

 

 

しかし!

 

 

なんと1つの壺(つぼ)で、1国に値する価値があるといわれていたものがあります。

 

 

それがルソン壺(漢字で書くと呂宋壺)

 

 

いったいどのような壺だったか?

 

 

 

 

 

千利休のお気に入り

まずルソンとは、現在のフィリピン最大の島で、戦国時代にはスペインの統治下でした。

 

 

そしてルソン壺は、このルソン島民が日常的に使っていた壺で、普通にたくさんあって、大きさは米が約二升ほど入るほど。

 

 

ある日、この壺を当時ルソンと貿易をしていた納屋助左衛門(なや すけざえもん)という堺の商人が手に入れます。

 

 

そして豊臣秀吉に様々な贈り物を献上ついでに披露した時、千利休が『珍重なるルソンの壺』と、いたく気に入り皆を驚かせました。

 

 

当時の利休は天下人・秀吉の茶頭として、政治にも発言力を強めていたのですね。

 

 

そしてこの利休のオメガネに叶うものは名物とされ、高価な値が付いたのです。

 

 

ルソン壺もそのひとつ。

 

 

諸大名はルソン壺を先を争って買い求め、価格が上昇、秀吉も3つ買い求めたとか。

 

 

ここまで売れまくるとウハウハの納屋助左衛門。

 

 

ルソン壺で巨万の富を得る事に成功しましたが…

 

 

 

 

 

ごめん、実は便器だったかも?

しかしその後、あまりにも贅沢ぶりが目立ったため、助左衛門は石田三成たちに睨まれ財産没収となる寸前で、ルソンに逃げ延びる事に。

 

 

また別の説では、ルソン壺が実は島民たちの便器だった事が発覚し、秀吉と諸大名の怒りをかったため逃げたとも。

 

 

その後、ルソン壺はそのほとんどが叩き壊されたそうですが、ひとつだけ堺市の大安寺に残っています。

 

 

これは助左衛門が罰せられそうになった時、大安寺に寄贈したもので、以来この壺は大安寺の寺宝として、400年以上に渡り受け継がれているという事です。

関連ページ

戦国時代って、いつからいつまで?
一般的に戦国時代とはいつからいつまでなのか?という素朴な疑問を調べてみました。
徳川家康の遺産はどのくらいあった?
江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなったt時、家康の遺産はどのくらいあったのか?その資産額を調べた記事です。
天正大判の価値はいくら?
豊臣秀吉が作らせたといわれる天正大判の価値は現在の貨幣価値だといくらくらいなのか?という疑問を調べてみた記事です。
三成の忍城攻めはおいくら?
映画・のぼうの城の1シ−ンでもある石田三成の忍城攻めはいったいどのくらいの予算が必要だったのか?雑学と予算を検証した記事です。
森蘭丸よりイケメン?!信長の弟・織田秀孝
織田信長の弟・織田秀孝はイケメンの誉れ高き武将でしたが、若くして亡くなってしまいます。そのエピソードを書いた記事です。
戦国時代の影武者の話
戦国時代にはつきものだった影武者の話について書いた記事です。
なぜ政宗の血液型がわかるのか?
人気がある戦国武将のひとり政宗の血液型がわかっていますが、それはなぜわかるのか?最新の研究結果を調べてみました。
海と別れた九鬼水軍その後どうなった?
戦国時代に手甲船を作り織田信長配下の水軍として名を高めた九鬼嘉隆の九鬼水軍。しかし江戸時代になると、海と分かれることになります。そんな九鬼水軍のその後を説明した記事です。
お市の方の旦那は二人とも愛知ゆかりの武将!
戦国一の美女といわれている織田信長の妹・お市の方の旦那は二人いますが、二人ともとも愛知ゆかりの武将でした。そのエピソードを書いた記事です。

ホーム RSS購読 サイトマップ