第7話 | 初めてラーメンを食べた日本人はこの人!?
食べ物の好き嫌いは人それぞれありますが、私は未だ【ラーメン】と【カレー】嫌いの人に会った事がありません。
それだけこの二つの料理は、すっかり日本に定着しているんですね。
今日はそんなラーメンのお話。
ラーメンを食べているて、ふと思うのが『日本人はいつからラーメンを食べ始めているのだろう?』という疑問。
歴史好きなので、美味しいもの食べてても、つい歴史に結び付けたくなるんです。
そこで調べてみました。すると意外な事実が浮かび上がったのです。
それは、日本人で最初にラーメンを食べたのは…
徳川光圀、つまりかつてテレビドラマで有名な【水戸黄門】という説があるのです。
ちなみに日本人で初めてワインを飲んだのが織田信長、コーラを飲んだのが坂本龍馬という説がありますが、それはさておき。
ラーメンの詳細は以下のとおり。
光圀は中国の儒教思想に深く傾倒しており、学問の師として中国の儒学者・【朱舜水】(しゅしゅんすい)を長崎から招きました。
朱舜水は漢民族による明朝再興に挫折し、日本へ亡命の最中でした。光圀38歳。朱舜水66歳の時の事です。
光圀は朱舜水より、礼法・農業・造園・食文化について教えを受け、教養を深めていきました。
そして朱舜水は中国特産の様々な食材も取り寄せていました。
朝鮮人参、蜂蜜、胡椒、亀、クジャク、大サンショウウオ、ジャコウネコ、などなど。
もちろんこれらはただ食するためだけではなく、薬用の研究のためという事もあったのでしょう。
そんな中、朱舜水はこれらの食材を使って中国の麺料理を振舞ったそうです。
この麺料理は、中国から取り寄せたレンコンより精製された(でんぷん)を主とし、うどん状に加工。
そして五辛(ウ―シン)と呼ばれる5つの薬味を添えたものだったとか。
この五辛(ウ―シン)とは、
- ニンニク
- ニラ
- サンショウ
- 白カラシ
- 香菜
であったそうです。これがラーメンの原型といわれています。
ちなみに光圀がこのラーメンを日本に広めたワケではなく、一般に普及するのは大正時代以後の事。
日本全国の悪者を懲らしめながら、ラーメンを広めていった…
ワケではないんですね。
『長生きしたければ、鳥獣に学べ』(徳川光圀)
73歳まで生きた徳川光圀(水戸黄門)は、当時としてはかなりの長寿でした。
その光圀が極意として残した言葉が【桃源遺事】という書物に残っています。それを要訳すると、
『無病延命の術は、鳥獣に学ぶしかない。鳥獣は腹が減れば食べ、満腹になれば食べることを止める。しかし人はうまければ、限度を越えて食べもすれ、飲みもする』
つまり腹八分が大事という事ですね。
これは現在の医学的な観点からも、その通りと言えるのではないのでしょうか?
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