戦国時代も肉を食べていた?





第8話 | 戦国時代も『肉』を食べていた?

戦国時代,肉,牛肉,彦根,井伊氏

 

 

現在、私たちは様々な肉を食べる事ができますが、日本人は仏教が伝来してから肉を食べる事は禁止されてきました。

 

 

しかし!

 

 

それはあくまで表向きなことで、実はたべていたんですよ、『肉』を!

 

 

これはどういうことか?

 

 

確かに日本では、大陸から伝来した仏教により、馬・牛・犬・鶏などの家畜を食べることが禁止されていました。

 

 

もともとこれらの動物は現在とは違い、そんなに数が多くなく、しかも牛・馬などは、農耕に使われる貴重な労働力でした。

 

 

しかし野鳥や野獣は、田畑を荒らすこともあり、狩の対象になっていたんですね。

 

 

特に好まれたのが『猪』(いのしし)

 

 

しかし、獣の肉といえば、仏教上、食べてはいけない食べ物になるということで『イノシシ』とは言わず、

 

  • 山鯨(やまくじら)
  •  

  • 牡丹(ぼたん)

 

などと言って一部の人が食べていました。

 

 

また、滋養の効果があることから、『これは獣の肉だけど、薬だ!』といって食べたりもしたそうです。

 

 

そういえば江戸時代、彦根藩の井伊氏が滋養強壮の薬の名目で、将軍家に『牛肉の味噌漬け』を献上していたとの事。

 

 

この『牛肉の味噌漬け』は、現在でも彦根市の名物のひとつとして有名です。

 

 

ということで、以外に食されていた『肉』のお話でした。

 

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