戦国時代にすき焼きがあった?!





第12話 | 戦国時代にすき焼きがあった?!

戦国時代,すき焼き,高山右近,蒲生氏郷,細川忠興

 

 

戦国時代は仏教の影響もあり、公には動物の肉を食すことは禁じられていました。

 

 

しかし、肉が意外に食べられていた事は、以前にも書きましたよね。

 

 

そして今回はなんと戦国時代のすきやきのエピソード。

 

 

あるんですね。こんな話が…

 

 

時は天正十八年(1590)

 

 

秀吉の小田原城攻めの時、秀吉配下のキリシタン武将・高山右近(たかやまうこん)は、陣中に大量の牛の肉を蓄えていました。

 

 

ある時、この高山右近の陣を蒲生氏郷、細川忠興が訪れます。

 

 

なにせ小田原城を圧倒的兵数で包囲しているために、戦闘らしい戦闘がなく、少々退屈していたのですね。

 

 

そして高山右近は二人をもてなす為に、鍋の用意を始めました。

 

 

そして出てきたのが【牛肉】。

 

 

最初は二人とも少し抵抗があったようですが、右近のススメもあり、おそるおそる口に運びます。

 

 

この時二人が食べたのが、今日の【すきやき】に近い料理だったといわれています。

 

 

【細川家御家譜】によれば、その後も度々、右近の陣中を訪れ、牛肉料理を楽しんだそうです。

 

 

 

 

 

武士には必要な食材だったのかも

 

食文化史研究家の永山久夫氏によれば、牛肉は動物性タンパク質の塊で、体を作る原料になり、牛肉に含まれるヘム鉄と呼ばれる鉄分は血を作り、ビタミンB群はエネルギー代謝の向上、免疫力強化、細胞の老化防止といった効果があるそうです。

 

 

重い甲冑を身に付けて出陣しなければいけなかった武士にとって、牛肉をはじめとする肉類は、生理的に体が欲していた食材だったのかもしれませんね。

 

 

関連ページ

戦国時代は一日何食だった?
戦国時代の一日の食事の回数はいったい何かいくらいだったのか?そんな素朴な疑問を調べてみました。
長寿のヒケツ?梅干パワー
梅干が長生きに効果がある食べ物という事を知ってますか?戦国時代、梅干しを好んで食べ、長寿記録を残した戦国武将のオハナシです。
見た目とは違う?モヤシパワー
戦国時代以前の武将でモヤシの栄養価に注目した人がいます。それが楠正成。実際に籠城戦でその効果を実証してみせました。
意外とある信玄ゆかりの食べ物
最強の戦国大名とまでいわれる武田信玄。この信玄ゆかりの食べ物を探してみると意外に多い事に気が付きました。それらを紹介した記事です。
意外なスグレモノ 【カツオブシ】
鰹節は戦国時代も食べられており、現在では栄養価の高い食べ物だという事も判明しています。そのカツオブシにまつわる戦国武将のエピソードも記載してみました。
初カツオっていくらだったの?
江戸時代の初ガツオはとんでもなく高値で取引されていました。では、今の値段でどのくらいだったのか調べてみました。
初めてラーメンを食べた日本人はこの人!?
日本人で初めてラーメンを食べたであろう人物を調べてみると、意外な事がわかりました。
戦国時代も肉を食べていた?
一般的に日本人が肉を食べ始めたといわれるのは明治時代からですが、実はそれ以前の江戸時代や戦国時代にお肉が食べられていました。
徳川家康がキッカケで佃煮は誕生した!
現在では普通に食べられている佃煮は戦国大名の徳川家康ゆかりの食べものという説があります。そのエピソードについて記載した記事です。
明智光秀最後のスイーツ
本能寺の変を起こす前の明智光秀が最後に食べたスイーツのエピソードが現在に残っており、それを紹介した記事です。
聚楽弟ゆかりの野菜
豊臣秀吉が建てた聚楽弟ゆかりの野菜が現在に残っています。それが堀川ゴボウという野菜です。そのエピソードを調べてみました。
桶狭間合戦が無ければ八丁味噌も無かった?!
愛知県岡崎市の八丁味噌は、桶狭間合戦ゆかりの食べ物といわれており、その理由とエピソードを紹介した記事です。
鰹のタタキが生まれたのは山内一豊がキッカケ?
高知県で有名な郷土料理のひとつに鰹のタタキがありますが、これは戦国武将の山内一豊がキッカケで作られる様になった料理だといわれています。
上杉謙信の寿命を短くしたといわれる食べ物とは?
越後の龍といわれた上杉謙信の寿命を短くした食べ物といわれているものがあります。それが梅干しです。その理由とエピソードを記載した記事です。
汁かけめしで滅びるのが分かった?!北条氏政
戦国時代の関東の雄・後北条氏は四代氏政の食事の仕方で滅びるのが分かったそうです。次の様なエピソードが残っています。
これが不老長寿の食べ物だ!
昔より伝わる不老長寿の食べ物を調べてみました。
葵の紋を持った魚
昔から葵の紋を持った魚がいるといわれています。それが白魚です。
京の味は信長の口には合わなかった?
織田信長の味覚について、京の味は信長はあまり好きではなかったみたいです。そのエピソードを書いてみました。
天下人秀吉の意外な好物
天下人となった豊臣秀吉は、晩年、意外な好物がありました。そのエピソードを書いた記事です。
アマクチ西瓜とカラクチ利休
天下人・豊臣秀吉の茶道として歴史にその名を残した千利休。彼は砂糖をかけた西瓜を好まなかったといわれますが、その理由についてあるエピソード調べてみました。
日本人で初めてラーメンを食べたこの人!
日本史上はじめてラーメンを食べたといわれる水戸光圀について調べてみた記事です。
徳川家康の死因は天ぷらってホント?
江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなった原因のひとつに天ぷらに当たったという説がありますが、それについて詳しく調べてみました。
必勝祈願!出陣前に縁起を担ぐこの食べ物!
日本人は古来より縁起を担ぐことを大事にしてきました。大事な勝負事や戦いの前、今では選挙などもそうですが、出陣の時に縁起が良いとされる食べ物があります。それを調べてみました。
宇喜多秀家の長寿のヒケツ!明日葉
関ヶ原合戦で八丈島に流された戦国大名・宇喜多秀家は83歳という長寿でした。そんな秀家が食べていたのが八丈島に自生していた明日葉という植物でした。
宇喜多秀家とおにぎり
関ヶ原合戦後に八丈島に流された宇喜多秀家は代官・谷庄兵衛から食事に招待されますが、出されたおにぎりを食べずに持ち帰りました。そこには八丈島の事情があったのです。
なぜ家康は白米より麦飯・玄米を好んだのか?
徳川家康は白米より麦飯・玄米を好んだといいます。それには理由があったのです、そんな家康と麦飯のエピソードです。
餅のおかげで大名になれた?!藤堂高虎の旗印・白もち三つの由来
築城の名手として知られる藤堂高虎は関ヶ原合戦でも活躍し大名として名を馳せました。しかし彼が若い頃は貧しく、餅のおかげで出世で来たというエピソードを紹介しています。
なぜ木村重成は合戦前なのに食事をしなかったのか?
大坂の陣で名将として名を残した木村重成。彼は出陣の時に食事をしませんでした。『腹が減っては戦はできぬ』ともいわれた戦国時代になぜなのか?それには理由があったのです。
なぜ戦国時代に石臼(いしうす)は必須だったのか?
最近の研究により戦国時代に石臼(いしうす)は必須のものだったことがわかっています、それはなぜか?石臼の意外な使い道について季節した記事です。

ホーム RSS購読 サイトマップ