鰹のタタキが生まれたのは山内一豊がキッカケ?





第14話 | 鰹のタタキが生まれたのは山内一豊がキッカケ?

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鰹の一本釣りで有名な土佐。

 

 

現在の高知県ですが、鰹のタタキは山内一豊が発祥という説があります。

 

 

どういうことか?

 

 

実は土佐では鰹を刺身で食べる風習がありました。

 

 

鰹は傷みやすい魚で、現代では釣り上げてすぐに氷水に入れ傷みを防止しますが、戦国時代はそれもできない。

 

 

それなのに刺身で食べるので、食中毒による死者がたびたび出ていたとか。

 

 

そこで山内一豊が土佐に来て間もない頃、【鰹は焼いて食す様に】とお触れを出したそうです。

 

 

これに従わないと罪人として御咎めを受けてしまいます。

 

 

しかし焼き魚より生の魚を好む海辺の人達は、魚の表面をさっと焙って、『ちゃんと焼きました』と言いつつ、半生の魚を食べていました。

 

 

これが後に鰹のタタキとなったとか。

 

 

しかしこのほかにも説があり、

 

  • 漁師のまかない料理から発達した説
  •  

  • 魚の皮下に居る寄生虫などを殺すためとする説
  •  

  • 明治時代の西洋人のビフテキの調理法を鰹に応用した説

 

など、いろいろとあります。

 

 

どれがホントかわかりませんが、一豊説が本当となると、一豊も領民の事を思っていた人物だったのでしょうね。

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