宇喜多秀家の長寿のヒケツ!明日葉





宇喜多秀家の長寿のヒケツ!明日葉

 

宇喜多秀家という人物ををご存知ですか?

 

 

備前岡山57万4千石の領主で、豊臣家五大老のひとりに数えられた人物ですが、関ヶ原で西軍に付き、戦後に八丈島に流されました。

 

 

かつては秀吉の養女を娶った、お坊ちゃん大名だった秀家ですが、八丈島での生活は困窮を極めたもので、大変不便だったと記録に残っています。

 

 

しかしそんな秀家ですが、なんと83歳という長寿だったんです。

 

 

彼がなぜそんなに長生きしたのか?

 

 

その理由のひとつに明日葉(あしたば)があります。

 

 

明日葉は、秀家が流された八丈島をはじめ房総半島から紀伊半島、そして伊豆諸島の太平洋岸に自生する植物。

 

 

今日摘んでも次の日には生えてくる凄まじい生命力で、『明日には生える』という事から明日葉という名前が付いたとか。

 

 

とにかく米が採れなかった八丈島で暮らしていた秀家は、この明日葉をたくさん食べていたのでしょう。

 

 

現在でも明日葉の栄養素は非常に注目されており、食文化史研究家の永山久夫氏は、明日葉について次の様な栄養素があると述べています。

 

  • 抗菌やがんの予防、血行促進効果があるカルコン
  •  

  • 細胞の酸化による老化を防ぐカロテン
  •  

  • 免疫力を強化するビタミンC
  •  

  • 骨を丈夫にするビタミンK
  •  

  • 肌の美しさを保つビタミンE
  •  

  • 頭の回転をスムーズにするビタミンB1
  •  

  • 貧血を予防する鉄分

 

 

 

これらの栄養素が明日葉には豊富なんですね。

 

 

今でも楽天市場などのネット通販で検索してみると、明日葉はサプリメントや健康食品、またはダイエット食品としていろんな商品があります。

 

 

まあ、秀家が生きた時代の八丈島では、明日葉と魚介類がメインの食事だったのかもしれませんが、結果、長寿に役に立つ食材ということを歴史で証明していますね。

 

 

戦では家康に負けてしまった秀家ですが、長生き勝負では83歳という長寿で勝ちました。

 

 

秀家が没した明暦元年(1655)、世はすでに江戸幕府四代将軍・徳川家綱の治世でした。

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