桶狭間合戦が無ければ八丁味噌も無かった?!





第13話 | 桶狭間合戦が無ければ八丁味噌も無かった?!

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名古屋を中心に東海3県である愛知、岐阜、三重で食べられている赤味噌。

 

 

大豆を原材料にした味噌で、東海地方の家庭には必ずあるといっていいほど、なじみの深い味噌です。

 

 

いろんな会社がこの豆味噌を作っていますが、特に愛知県岡崎市にある八丁味噌(はっちょうみそ)は有名なブランド味噌なんです。

 

 

岡崎城から西に八丁(約900メートル)離れた八丁村で作られ始めたのでこの名前が付いたのですが、現在では【カクキュー】と【まるや】、この2社が作った味噌だけが、八丁味噌と名乗る事ができます。

 

 

さて、実は八丁味噌は桶狭間の戦いが起こらなかったら存在しなかった?といわれている味噌でもあるんです。

 

 

 

 

 

ご先祖は関東の人

 

これは私の体験談なのですが、今から数年前の事。

 

 

愛知県観光協会の講演会で講師として出陣した時、カクキュー八丁味噌の代表・早川久右衛門さんとお話しする機会がありました。

 

 

その時に意外な事を聞いたのです。

 

 

それは、

 

 

『私の家が味噌を作り始めたのは桶狭間合戦がキッカケなんですよ。』

 

 

ということ。

 

 

早川氏いわく、ご先祖は伊豆の方で、今川軍と一緒に三河へやってきたそうです。

 

 

そして今川義元が信長によって討たれた後、今川軍は駿河(現在の静岡県)に撤退していきました。

 

 

その時に松平元康(後の徳川家康)が、岡崎城を居城として今川軍から独立したワケですが、早川氏のご先祖は帰らずに三河に残ったそうです。

 

 

そして岡崎城から西へ八丁(約900m)離れた場所で味噌作りを始め、これが現在のカクキュー八丁味噌になりました。

 

 

ただ、このエピソードは、信長公記みたいに詳細を記したものがあるわけではなく、早川家の口伝なので、それ以上の事は分からないそうです。

 

 

 

 

 

 

まるやがあるじゃないか

 

そう思うと、もし桶狭間合戦が無ければ、愛知、名古屋の名物である八丁味噌は存在しなかったのかといえば、そういうワケでもないみたい。

 

 

なぜならば、カクキュー八丁味噌の隣りにある、まるや八丁味噌の創業は延元(えんげん)二年(1337)。

 

 

桶狭間合戦が永禄三年(1560)なので、かなり前から味噌を作っていたという事になりますね。

 

 

ちなみに【カクキュー】、【まるや】の2つの会社ではどちらも工場見学も行っており、岡崎城とセットで訪れる事もできます。

 

 

普段食べている豆味噌を大きな樽で漬けこんでいる様子は圧巻です。

 

 

ここも戦国ゆかりのスポットですね。

 

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