汁かけめしで滅びるのが分かった?!北条氏政





第16話 | 汁かけめしで滅びるのが分かった?!北条氏政

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大河ドラマ・真田丸で、ごはんに何度も汁をかけて食べる北条氏政が話題になっていますが、あれって実在するエピソードが関係してるんです。

 

 

では、どういったエピソ−ドなのか?

 

 

戦国時代に小田原城を拠点として関東を治めていた後北条氏の三代目・氏康と息子の氏政が食事をしていた時の話。

 

 

当時の食事は、食事を終える時、最後にごはんの椀に汁をかけて食べるのが普通でした。

 

 

こうすると米粒も残さず食べる事ができるからです。

 

 

氏政は食事を終えようとした時、ごはんの椀に汁をかけましたが、まだ米が残っていたのか数回、汁をかけて食事を終えたそうです。

 

 

これを見た父・氏康は涙を流して、

 

 

『北条氏もワシの代で終わりか…』

 

 

と嘆きました。

 

 

驚いた氏政が理由を聞くと、

 

 

『椀に残った米粒を全て食べるのにどのくらいの汁が必要かお前は考えもせず食事をしていた。食事ひとつとってもお前の考えは浅はかだ』

 

 

と、理由を述べたといいます。

 

 

つまり、椀の中のご飯粒を食べるのにどれだけ汁が必要なのか、考えて汁をかけろということなのです。

 

 

でも氏政は、ご飯粒ありきで、どんどん汁をかけて食べていました。つまりあまり考えずに食事をしていたという事なんですね。

 

 

これが的中したのか、後北条氏は氏康亡き後、名胡桃城(なくるみじょう)という、群馬県の小城ひとつにこだわり、また時勢を読めず豊臣秀吉の小田原攻めにより、天正十八年(1590)に一度滅んでいます。

 

 

 

 

 

今日の名言

 

あの麦をすぐに飯にして出せ

名言というより、迷言ですw

 

 

今回は後北条氏の四代目・北条氏政。

 

 

あるとき、麦の取り入れ風景を見ていた氏政が、『あの麦をすぐに飯にして出せ』と家臣に命じました。

 

 

家臣はとても困ったとか。

 

 

ご存知の通り麦は収穫して脱穀し、搗いたり天日で乾燥したりしないと食べる事ができません。

 

 

またその後、炊飯しなければならず、当時は電気ジャーもありませんし、カマドの火を起こすだけでも大変な労力も必要でした。

 

 

お坊ちゃん武将でもあった氏政はそれを知らなかったのですね。

 

 

ちなみに氏政の正室の父である武田信玄がこの話を聞くと、さすがに呆れかえってしまったとか。

 

 

後に世の流れを読めず、秀吉の小田原攻めを招いてしまった悲劇は、ひょっとしてこの頃から始まっていたのでしょうか?

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