子を一番多くもうけた武将は?





第12話 | 子を一番多くもうけた武将は?

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前回、最高齢をやりましたので、今回は【数】のお話。

 

 

といっても、系図によってかなりまちまちで、同じ人でも子供の数が違ってきたり、その子供が実は違う人の子だったりと、アバウトな部分があるんですよね。

 

 

という事なので、あくまで一般論で話を進めていきたいと思います。

 

 

それと、今回は日本史全体でも見ていきましょう。

 

 

まず、古くは鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖父・源為義(みなもとのためよし)です。

 

  • 男子28人
  •  

  • 女子3人

 

合計31人の子供に恵まれています。

 

 

清和源氏は、全体的に子沢山の家系で知られていますが、この事が地方で清和源氏が繁栄した理由のひとつと考えられます。

 

 

そして後世では徳川幕府十一代将軍・徳川家斉です。

 

 

なんと分かっているだけで、【男子】26人・【女子】27人というからオドロキですよね。

 

 

もちろん、この人数に入っていない【ご落胤】もいたとのことなので、実数はもっと多くなります。

 

 

といっても、多くは幼い頃に亡くなり、無事に成人できたのは、十数人だったとか。

 

 

 

 

 

 

戦国時代はあの家系!

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そして戦国武将で子沢山の家系はというと?

 

 

以外と知られていない織田信長の織田家なんです。

 

 

信長は【男子】12人・【女子】10人という子沢山のパパでした。

 

 

ちなみに信長の父である信秀も、子沢山で【男子】12人・【女子】13人という多くの子をもうけています。

 

 

ということは、信長は25人兄弟なんですね。

 

 

しかしこの信長の兄弟たちも、多くが乱世の中命を落としていきましたが、織田家の血筋は現在に残っています。

 

 

有名なのは、フィギュアスケ−トの織田信成さんですね。

 

 

あと確か、織田無道さんが自称信長の子孫と言っていた様な…

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