家康が嫌った妖刀・村正とは





第16話 | 家康が嫌った妖刀・村正とは

家康,妖刀,村正,松平,清康,広忠

 

 

村正(むらまさ)という刀・槍があります。

 

 

今でいうブランド品の刀で、室町時代中頃から約100年間にわたり、伊勢国・桑名(現在の三重県桑名市)で作られてきました。

 

 

しかしこの村正を徳川家康は妖刀として近づけませんでした。

 

 

なぜこの村正が妖刀なのか?

 

 

それは…

 

 

 

 

 

徳川家に不幸をもたらした刀

まず、家康の祖父と父は、家臣と刺客の暗殺により落命していますが、この時使われたのが二人とも村正でした。

 

 

次に嫡男・信康の介錯の時に使われた刀も村正

 

 

さらに、関ヶ原合戦時、東軍・武将織田長孝が西軍・戸田勝成を討ち取るという功を挙げました。

 

 

しかし、その槍を家康が見ている時に家臣が取り落とし、家康は指を切り負傷してしまいます。

 

 

じつはこの時の槍も村正でした。

 

 

さすがの家康も怒って立ち去り、長孝は槍を叩き折ったそうです。

 

 

以上のことから、徳川家の不幸の影にはたびたび村正があったんですね。

 

 

そして江戸時代を通して、この村正は妖刀とされたのです。

 

 

 

 

 

でも逆に考えれば?

徳川家に不幸をもたらす刀なら、打倒徳川にはもってこいの刀という事で、この村正は歴史の表舞台に出てきます。

 

 

まず、大坂の陣の時、真田幸村(信繁)は、村正を所有していたそうです。

 

 

そして幕末の時にも倒幕側に愛用され、西郷隆盛も村正を使用していたとか。

 

 

ココまで来ると(アンチ徳川刀)ですよね。

 

 

 

 

 

 

単なる伝説?それとも?

ちょっと出来過ぎるくらいに徳川家に災難を持ち込んだ様に思われている村正ですが、これが単なる伝説という見方もあります。

 

 

村正はかつて、現在の三重県桑名市で作られており、物流が現代の様に便利でなかった戦国時代は、徳川(松平)の拠点・三河から近い桑名の村正が重宝されていたという説です。

 

 

確かによく切れ、大量に調達できるという事を考えれば、徳川(松平)家がたくさん所持していてもおかしくはなく、たまたま災難の時に刀を調べてみると村正、という事だったのかもしれません。

 

 

そんな村正ですが、現在、名古屋市の徳川美術館に一振り保管してあるそうです。

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