豊臣秀頼生存説ってどんなのがあるの?





第19話 | 豊臣秀頼生存説ってどんなのがあるの?

豊臣秀頼,生存説,鹿児島,真田幸村,天草四郎

 

 

豊臣秀頼は大坂夏の陣で、山里丸(山里曲輪とも)にて、母親・淀殿と自害しました話は有名ですよね。

 

 

しかし!秀頼については、いろんな生存説があるんです。

 

 

なぜ秀頼の生存説があるのかというと、大坂城落城時、いくら探しても秀頼の遺骸が見つからなかったからです。

 

 

そしていったいどのような説があるのか?

 

 

まず有名なのは、鹿児島県鹿児島市に【伝秀頼公由緒地】という碑とお墓があり、コレが秀頼の墓と伝わっていることですね。

 

 

その過程とは…

(1)真田幸村(信繁)が道を開いて兵庫まで進み、そこから海路で薩摩へ向かった。

 

 

(2)大野治長が秀頼を菰(こも)でくるんで、大坂城の水門から脱出させ、淀川河口で加藤忠弘(加藤清正の子)が保護。いったん肥後(現・熊本県)に匿い、その後薩摩へと渡らせた。

こういう2つの説があります。

 

 

 

 

 

2つとも薩摩へ辿り着いている事は一致しています。

 

 

そして薩摩側にも伝説が残っています。

 

 

大坂城落城後しばらくして、素性の分からない浪人がふと薩摩の城下に現れました。

 

 

その浪人はいつも酔っ払っています。

 

 

そしてなぜか藩主は彼の面倒を見続けました。

 

 

この浪人が秀頼ではないかとウワサされるようになり、鹿児島に伝わる秀頼の墓は、この浪人の墓とされています。

 

 

また天草四郎は秀頼の息子だったので、幕府も鎮圧に必要以上に力を入れ、籠城する側に対しても容赦なかったという説。

 

 

あるいは海を渡り、現在の中国へ逃れたとか…これは源義経とカブってマスね。

 

 

歴史研究者達はこの辺の説について否定的ですが、歴史の常識がよく変わる今日。

 

 

この豊臣秀頼生存説も、ひょっとして【アリ】な日が来るのではないでしょうか?

 

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