高齢になっても戦場を駆け巡ったこの武将たち!





第22話 | 高齢になっても戦場を駆け巡ったこの武将たち!

高齢,戦場,武将,朝倉宗滴,龍造寺家兼

 

 

以前、七十七歳で関ヶ原合戦に参加した金森長近の事を書きましたが、長近以外に高齢で出陣した武将はいたのか?

 

 

そこで調べてみますと、以外にもほかにもいたんです。

 

 

そこで今回は人間五十年の時代に、高齢でも戦場に出ていた武将のお話です。

 

 

 

 

 

 

まずは越前(現・福井県)の武将・『朝倉宗滴』(あさくら そうてき)

 

 

彼は七十七歳で出陣して、陣中で病を得て帰国後亡くなりました。

 

 

名門朝倉氏の長老として、【朝倉宗滴話記】という書物を記したり、尾張の織田信長の器量を見抜き、会ってみたいと言い残したという話が伝わります。

 

 

ちなみにこの朝倉氏は、信長と戦った朝倉義景の朝倉氏です。

 

 

 

そしてもっとスゴイのが、肥前(現・佐賀県と長崎県)の武将・龍造寺家兼です。

 

 

この名前を聞いて(?)と思う人も多いと思いますが、この人は肥前の戦国大名・龍造寺隆信の曽祖父です。

 

 

この人が最後に出陣した年齢は、なんと九十二歳!!

 

 

ありえませんよね…

 

 

もちろん先陣きって槍を振舞った訳ではなく、指揮官としてですが、この出陣は因縁が絡んだものでした。

 

 

天文十四年(1545)、この時、九州北部に勢力をもっていた少弐(しょうに)氏の家臣・馬場頼周(ばばよりちか)との戦いでした。

 

 

龍造寺氏は、なにかとこの馬場氏のお世話になっていましたが、馬場氏の謀略により、龍造寺家は筑後柳河(現・福岡県柳川市)に追放されてしまいます。

 

 

この悔しさがあってか、家兼は執念の出陣を果たし、見事に仇敵・馬場頼周を討ち取り、失地を回復し、龍造寺氏を再興させました。

 

 

ちなみにこの執念の出陣の翌年に家兼は亡くなりました。

 

 

さすが戦国武将!ともいうべきでしょうか、たくましすぎですね。

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