服部半蔵はやはり忍者だったの?





服部半蔵はやはり忍者だったの?

服部半蔵,忍者,徳川家康,江戸城

 

 

 

『服部半蔵』。

 

 

この名前を聞けば、誰でも忍者を思い起こすのではないでしょうか?

 

 

彼は実在の人物で、徳川家康に仕えていました。

 

 

正式には『服部半蔵正成』。

 

 

『半蔵』は服部家の世襲で、父や息子も名乗っています。(父は半三とも)

 

 

伝説では彼は忍術を駆使して活躍しますが、どういうものがあったかというと、

 

(1) 座った状態で扇子を開き、そのまま静かに礼をしたかと思うと、いつの間にか姿が消え、隣の部屋に現れた。

 

(2) 槍を持ち上げ、手首を少し動かしただけで、狙った所にスゴイ速さで槍が飛んで行く

 

(3) 正座したまま、背後から襲って来た敵を、一瞬のうちに縛り上げる

 

ここまで書くと忍術ってスゴイですね…

 

 

 

 

 

 

この様に人間離れした神業が目を引く服部半蔵。

 

しかし実際には彼は忍術は使っておらず、むしろ忍者ですらありませんでした。

 

どういうことか?

 

 

 

 

 

服部家はもともと伊賀(現・三重県)の出身で、半蔵の父の代から三河国(愛知県)へ出てきて、松平氏(徳川氏)に仕えました。(異説もあり)

 

 

そして半蔵正成は家康と同い年という事もあり、家康と幼い頃から一緒に武芸を学んだと伝わります。

 

 

彼は主に三河宇土城攻めや、姉川合戦でその名を残しますが、最大の活躍は【本能寺の変】後の伊賀越えの時です。

 

 

【本能寺の変】の時、家康は堺におり、周囲には明智勢がひしめいていました。

 

 

半蔵正成は伊賀忍者を集め、家康を護衛しながら伊賀越えを行い、無事に鈴鹿を越え海路から家康と共に三河へ逃れる事に成功しました。

 

 

この時に家康を護衛した200人の伊賀者に録が与えられ、徳川家に召抱えられることに。半蔵はその頭目(大将)となりました。

 

 

これが後の江戸城大奥の警護を任じられた伊賀同心の始まりであり、江戸城の【半蔵門】は彼の名前に由来しています。

 

 

ということで、半蔵が忍者として家康に仕えた訳ではないんです。

 

 

しかし服部家ゆかりの三重県伊賀市では、毎年【伊賀上野NINJAフェスタ】という町を上げての忍者イベントが開催されており、忍者ファンはもちろん、全国でもあまり類を見ないこのイベントが、かなり好評とか。

 

 

忍者に興味がある方はぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

 

 

>>伊賀上野観光協会公式サイト

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