おれたち三好三人衆!





おれたち三好三人衆!

三好三人衆,三好長逸,三好政康,岩成友通,真田十勇士

 

 

今日は三好三人衆のおはなしです。

 

 

三好三人衆とは、戦国大名・三好長慶に仕えた

 

  • 三好長逸
  •  

  • 三好政康
  •  

  • 岩成友通

 

という三人の事です。

 

 

岩成さんが三好姓ではありませんが、この人は重臣(と伝わります)なんですね。

 

 

つまり三好長慶の一族&家臣達ですが、この三人、戦国史に非常に深い意味で名を残しているんですね。

 

 

まず、永禄七年(1564)七月に室町幕府を牛耳っていた戦国大名・三好長慶が死亡します。

 

 

しかし後継ぎの三好義継は幼く、また長慶の弟達も世を去っていたため、この三人衆が後見役となり、三好家の舵取りをするようになります。

 

 

この頃、あの松永(弾正)久秀と仲良くなり、なんと時の将軍・足利義輝を倒すなど、かなりムチャなことをしでかします。

 

 

その後、松永久秀と対立。

 

 

その戦闘の過程で、奈良の東大寺大仏殿や興福寺が焼けたりで、奈良時代以降の文化財を灰にしてしまいます。

 

 

それらの争いは織田信長の上洛で収まりますが、三好三人衆はひとまず歴史の舞台から消えてしまうんです。

 

 

まず岩成友通は、この上洛した信長に臣従しましたが、足利義昭の挙兵で信長軍と戦い戦死してしまいます。

 

 

三好長逸もかつて敵対した足利義昭の信長包囲網で信長と戦い、摂津・中嶋城で信長軍と戦ったのを最後に消息を絶っています。

 

 

そして三好政康ですが、この人も信長軍と戦い消息を絶っていますが、この人だけは秀吉が天下を取った後、また現れます。

 

 

その後は豊臣家に仕え、慶長二十年(1615)大坂夏の陣に87歳の高齢ながら参加。あえなく戦死しました。

 

 

しかし豊臣恩顧の大名がことごとく徳川に靡く中、三好政康の豊臣に対するアツい思いは、反徳川精神から脚光を浴びます。

 

 

そして遂には講談・真田十勇士の一人・三好清海入道のモデルになってしまいました。

 

 

 

戦国末期、足利幕府を牛耳っていた三好家。

 

 

その三好家を操っていたのが三好三人衆&松永久秀だったので、ある意味【影の天下人】状態で栄華を誇った三好三人衆

 

 

最後は、はかなく歴史の闇に消えていきましたが、この人達もまた歴史を動かした人物であったことは間違いありません。

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