徳川家康の死因は天ぷらってホント?





徳川家康の死因は天ぷらってホント?

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戦国乱世を勝ち抜いた徳川家康。

 

 

大阪夏の陣の翌年、元和二年(1616)に死去します。

 

 

享年七十五歳。人間五十年の時代にしては長生きですね。

 

 

では死因は老衰?ではなく、

 

 

【鯛のてんぷらにあたった】という説があります。

 

 

『ちょっとまって!てんぷらは加熱してるから菌が死滅してて、食中毒なんて起こらないんじゃないの?』

 

 

そう思う人もいるかもしれませんが、問題は加熱ではなく、使用している油が古ければ、変敗しており、食中毒の原因にもなるのです。

 

 

しかしこの【食中毒】説はあくまで仮説。

 

 

でもここまで書いてしまうと、家康を殺してしまった(かもしれない)てんぷらの話が気になります。

 

 

もともと日本では室町時代末期頃から寺院での精進料理等で、野菜や生麩、豆腐を油で素揚げする調理法がありました。

 

 

それが戦国時代になって外国の船の往来が始まると、衣を付けて揚げる調理法が入ってきました。

 

 

それが(てんぷら)と名前が付いて広まったといわれています。

 

 

ちなみに語源はポルトガル語の『Tempero』から来ているそうですが、ハッキリとしたことは分かっていません。

 

 

ちなみに同じ(てんぷら)でも、江戸と京都・大阪では違いがあり、江戸の(てんぷら)は主に魚の衣揚げだったのに対し、京都・大阪では、魚のすり身を団子にして揚げたものを(てんぷら)と呼んでいたとか。

 

 

現代でも我々は普通に食べるてんぷら。

 

 

以外と歴史がある食べ物だったのですね。

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