第31話〜記事一覧
戦国時代の合言葉
戦国時代の合戦は、今でいうゼッケンを付けていた訳ではなかったので、背旗や袖印などでを判断していました。しかし敵と戦えば、それらのものも紛失してしまい、敵か味方か分からなくなることもありました。なので【合言葉】が使われたんですね。合戦にはこの合言葉が必要不可欠な場合が多く、小さな部隊同士の合戦ならとも...
天正遣欧少年使節団の少年たちは帰国後こうなった!
本能寺の変が起こった天正十年(1582)に海を渡ってヨーロッパに向かった4人の少年たちがいました。これが後に天正遣欧使節(てんしょうけんおうしせつ)という少年たちです。彼らは九州のキリシタン大名である、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信らの名代としてロ―マへ渡った少年達の事で、いったい何のための使節だった...
剣豪将軍ってどんな人?
あなたは【将軍】と聞くと、どんなイメージがありますか?将軍のイメージが強いのは、権力に任せて政治を行ったり、時にはワガママを押しとおしたりというものだと思います。しかし【剣豪将軍】という、剣の達人だった将軍がいました。それが名前は足利義輝(あしかがよしてる)。室町幕府の第13代征夷大将軍で、足利義昭...
軍勢の中に職人や僧侶がいた理由
戦国時代の軍勢の多くは領民(ほとんと百姓)という話は有名ですが、今回は戦闘員以外のお話。戦国時代の軍記類の中には、僧侶・大工・その他の職人の名がたまに記されている例がありますが、これはどういう事でしょうか?まず、僧侶は戦没者供養というよりも、その知識を戦術に活用していたようです。現代では学問を学ぼう...
関ヶ原合戦後、石田三成の子孫はどうなった?
石田三成は関ヶ原合戦で破れ、京都で亡くなった事は有名ですよね。居城の佐和山城も落城し、一族もちりじりになり、徳川方から見た逆臣・石田一族は滅亡したかにみえました。しかし!!石田三成の子孫と血筋は江戸時代に大名としてその後も残りました。どういうことか?まず、三成の次男・重成と娘の辰姫は、関ヶ原合戦当時...
戦国武将の初陣はいくつくらいだったか?
戦乱の世の戦でデビューは、いったいいくつくらいだったのか?そして気になるアノ人の初陣は?まずは織田信長。信長の初陣は14歳の時。この時は当時の宿敵・今川氏の領地に火を放ち、居城に帰るといった戦というよりセレモニーみたいなものでした。続いて徳川家康。彼の初陣は17歳で、当時の主君・今川義元の命で三河寺...
日本初の大砲!フランキ砲とは?戦国日本に大砲が普及しなかった理由
戦国時代に鉄砲はありましたが、大砲は無かったの?という疑問をお持ちの方、大砲ありましたよ。^^記録によれば、関ヶ原合戦の際に西軍・石田三成の陣に大砲が備え付けられており、東軍の黒田・細川両軍の撃退に使用されたとか。また大坂冬の陣の時、徳川方が大坂城に打ち込んだ大砲の弾が天守に命中!この時、豊臣秀頼の...
お市の方って信長の妹じゃなかったの?近江の浅井氏と尾張の浅井氏
戦国一の美女といわれ、謎が多い女性・お市の方。戦国好きでこの人を知らない人はいないくらい有名な信長の妹ですよね。絶世の美女と伝わる彼女でしたが、彼女の夫となった人は次々と非業の最後を遂げてしまいます。そして彼女も最後は燃え盛る越前・北之庄城で亡くなってしまうのですが…そんなお市の方が信長の妹ではなか...
徳川家康生誕地の愛知県岡崎市に秀吉と蜂須賀小六の石像がある理由
名古屋から国道一号線を豊橋市に向けて走っていると、岡崎市の矢作川の手前に石像があります。これ、豊臣秀吉と蜂須賀小六の石像なんです。岡崎市といえば、徳川家康の生誕地としてしられる三河。なのになぜ秀吉と小六かというと、それには次のエピソードがあるからです。百姓の子として生まれたといわれる秀吉は、幼名を『...
竹千代は人質ではなかった?結構厚遇されていた徳川家康の人質時代
松平元康(後の徳川家康)は、幼少時代に駿河の今川氏に預けられていた時期がありました。当時、尾張の織田氏と三河の松平氏は犬猿の中で、織田氏の三河侵攻を食い止めるために、松平氏はどうしても隣国・今川氏の力が必要だったのです。普通に考えると松平氏が今川氏に忠誠を誓うための人質と思われている様ですが、しかし...
なぜ徳川家の菩提寺は増上寺と寛永寺2つあるの?
徳川家の菩提寺が2つあるのをご存知ですか?増上寺と寛永寺です。浄土宗大本山 増上寺 公式サイト東叡山 寛永寺 公式サイトでもなぜ徳川家の菩提寺がなぜ2つあるのか?素朴な疑問から調べていくと、なるほどな事実がありました。まず、芝の増上寺が家康によって徳川家の菩提寺として決められました。家康が小田原北条...
武者修行の本当の理由
武者修行と聞くと、強い侍が対戦相手を求めてひたすら旅をしている風景や、道場破りが思い浮かびます。しかしこれは後世のイメージ。実際の目的は、自分の売り込み(求職活動)諜報(スパイ)というものがほとんどでした。日本初の武者修行第一号といわれているのは、中国地方の武士・山内源兵衛だったとの説もありますが、...
これだけあった!現代使われている日本刀の用語
先日、用事があって名古屋市熱田区に行った時のこと。せっかく来たのだからということで、熱田神宮に参拝してきました。熱田神宮は、三種の神器のひとつである草薙の御剣(くさなぎのみつるぎ)が祀ってある神社で、勝負事や戦いの神様として知られています。かつて桶狭間の合戦の時、織田信長も熱田神宮に戦勝祈願して見事...
日本のクリスマスは戦国時代に始まった!
クリスマスといえば今ではすっかり日本では定着したイベントです。しかしこのクリスマス、日本で最初に行われたのは戦国時代だったことは、意外と知られていないのではないでしょうか?日本で最初にクリスマスが行われた場所は現在の山口県。天分二十一年(1552)の事でした。当時この地域を治めていたのは、キリシタン...
忍者はどのくらい跳ぶ事ができたのか?
忍者と聞いて思い浮かべるのが、黒装束に手裏剣をはじめ様々な忍びの道具を待ち、俊敏な動きではないでしょうか?実際にはあのような格好はごくまれで一部。実際は農民、僧侶、芸達者、山伏に変装しての諜報活動がメインだったようです。しかしイメージの様に俊敏さを養う修行はあり、跳躍力については、【六法】という訓練...
明智光秀は敵は本能寺にあり!ってホントに言ったの?
大河ドラマが戦国モノの作品の時、本能寺の変が高視聴率になるという話を以前に何かのニュースで見たことがあります。主役でなくとも、織田信長は何らかの形で大河ドラマによく出てくるので、本能寺の変もよく登場しますよね。この本能寺の変も謎が多い出来事のひとつ。光秀の謀反の理由もいくつかの説があり、未だに議論さ...