徳川家康生誕地の愛知県岡崎市に秀吉と蜂須賀小六の石像がある理由
名古屋から国道一号線を豊橋市に向けて走っていると、岡崎市の矢作川の手前に石像があります。
これ、豊臣秀吉と蜂須賀小六の石像なんです。
岡崎市といえば、徳川家康の生誕地としてしられる三河。
なのになぜ秀吉と小六かというと、それには次のエピソードがあるからです。
百姓の子として生まれたといわれる秀吉は、幼名を『日吉丸』といい、信長に仕える前は各地を放浪していました。
ある夜、三河の矢作橋(やはぎばし)で寝ていると、蜂須賀小六に蹴飛ばされてしまいます。
怒った日吉丸は小六に抗議するのですが、日吉丸の度胸に感心した小六は、その後、日吉丸と共に行動するようになり、墨俣一屋城築城をはじめ、秀吉の活躍に尽力するようになったそうです。
その二人が出会った場所というのが、現在の矢作橋という事なのですが…
これは史実とは違うんです。
まず矢作川に橋が架けられたのは慶長六年(1601)
秀吉は慶長三年(1598)に62歳で亡くなっていますし、蜂須賀小六が亡くなったのは天正十四年(1586)ですから、2人とも亡くなった後に矢作橋が架けられているので、2人が矢作橋で出合ったことはウソになります。
では、なぜこんな話が伝わっているのかというと、江戸時代の【絵本太閤記】というのが理由なのです。
江戸時代に反徳川の風潮なのか、豊臣秀吉の伝記ものが流行し、その中でもイラストがふんだんに使われた絵本太閤記がベストセラーになりました。
その絵本太閤によると、秀吉が蜂須賀小六と出合ったのが三河の矢作橋となっているので、この話が昔話として後世に伝わっているのです。
でもそう考えると、現在の矢作橋にある出合いの像は、江戸時代のベストセラー本の名場面を再現しているとすれば、ある意味、【本物】という事になりますね。
少し苦しいかもしれませんけど(汗)。
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