これだけあった!現代使われている日本刀の用語





これだけあった!現代使われている日本刀の用語

日本刀,用語

 

 

先日、用事があって名古屋市熱田区に行った時のこと。

 

 

せっかく来たのだからということで、熱田神宮に参拝してきました。

 

 

熱田神宮は、三種の神器のひとつである草薙の御剣(くさなぎのみつるぎ)が祀ってある神社で、勝負事や戦いの神様として知られています。

 

 

かつて桶狭間の合戦の時、織田信長も熱田神宮に戦勝祈願して見事勝利しており、そのお礼として塀を寄進しています。

 

 

それが信長塀です。

 

 

また宝物館には、元亀元年(1570)の姉川の戦いで、朝倉軍の武将・真柄十郎左衛門の愛刀である真柄太刀が展示してあります。

 

 

>>信長塀と真柄達の詳細

 

 

ということで、刀にゆかりの深い熱田神宮ですが、参拝後、ふと思ったのは、現在使われている日本刀の用語です。

 

 

現在では、日本刀は武器ではなく美術品という位置付けで扱われていますが、日本人と刀は非常にゆかりが深いものです。

 

 

また調べてみると、日常生活でも次の様な刀に関する用語が使われています。

 

 

 

 

 

折り紙付き

間違いなく保証付きという意味。刀剣の鑑定、研磨、浄拭(ぬぐい)を家業とした本阿弥(ほんあみ)一家が鑑定した刀の鑑定書からきた用語

 

 

地金が出る

刀の砥ぎ減りで地金が現れてしまい、醜いところが出てしまうところが出てしまうという意味。メッキが剥がれるとも。

 

 

鎬(しのぎ)を削る

斬り合う時、刀の鎬の部分が互いに強く擦れ、削り落ちるように感じることからきている用語

 

 

切羽詰まる

切羽は刀の鍔(つば)の表裏にはめて、柄と刀身を固定して、動かないようにするところから、身動きができない、物事が動かない(進まない)という意味

 

 

反りが合わぬ

他人との相性が悪いという意味。刀はそれぞれ反りが違っており、他の刀の鞘(さや)に入れると反りが合わずに入らないので生まれた用語

 

 

鍔迫り合い(つばぜりあい)

お互いに激しく競り合う意味。刀で打ち込んだ時に鍔で受け止めたまま押し合う事があり生まれた用語

 

 

なまくら

半端(ハンパ)という意味。刀の焼きが半焼けの状態だと切れ味も悪くなるため

 

 

焼きを入れる

刺激を与えて最後の仕上げをするという意味。刀も最後の仕上げとして、焼いて高度を高めるそうです(←現在ではコワイ人がよく使う言葉ですが)

 

 

柄の間

柄とは刀の持ち手の部分。刃の部分に比べると短いので、現在でも短い期間を現す用語になっています。

 

 

いかがでしょう?探すと結構、あるものですね。

 

 

私の感想ですが。柄の間とか、折り紙付きなんて言葉はよく使いますね。

 

 

あなたはどの言葉を使っていますか?

 

 

現在では、日常生活では刀を使う事はまずありませんが、たくさんの用語が使われている事がわかりますね。

関連ページ

戦国時代の合言葉
戦国時代の敵味方入り乱れる合戦で、どうやって味方やを見分けたのか?その判断のひとつに合言葉があります。その合言葉についての記事です。
天正遣欧少年使節団の少年たちは帰国後こうなった!
天正十年(1582)に海を渡ってヨーロッパに向かった4人の少年たち、いわゆる天正遣欧少年使節団ですが、日本に帰国後どうなったのかを調べてみた記事です。
剣豪将軍ってどんな人?
戦国時代に剣豪将軍として名を馳せた足利義輝について説明した記事です。
軍勢の中に職人や僧侶がいた理由
戦国時代の合戦中の陣中には職人や僧侶がいたことがわかっています。なぜ戦わない僧侶や職人が陣中にいたのか?それには理由があったのです。
関ヶ原合戦後、石田三成の子孫はどうなった?
関ヶ原合戦で西軍の総帥を務めた石田三成ですが敗れた後、石田三成の子孫はどうなったのか?実は後世に子孫が続いていたのです。
戦国武将の初陣はいくつくらいだったか?
戦国武将の始めての戦、つまり初陣はいくつくらいだったのかという疑問を調べてみました。今回は織田信長、前田利家、毛利元就、伊達政宗そして長曾我部元親の初陣の年を比較してみました。
日本初の大砲!フランキ砲とは?戦国日本に大砲が普及しなかった理由
日本初の大砲として名を残すフランキ砲とはいったいどんな大砲だったのか?また戦国日本に大砲が普及しなかった理由を調べてみました。
お市の方って信長の妹じゃなかったの?近江の浅井氏と尾張の浅井氏
戦国一の美女といわれる信長の妹・お市の方は、最近では信長の妹ではなかったといわれていますがそれはなぜなのか?という疑問を調べてみたら興味深い事を発見しました。その記事です。
徳川家康生誕地の愛知県岡崎市に秀吉と蜂須賀小六の石像がある理由
徳川家康で有名な愛知県岡崎市に豊臣秀吉と蜂須賀小六の石像がありますが、なぜ二人の石像が三河国にあるのか?調べてみるとなるほど!と思うことを発見できました。sの記事です。
竹千代は人質ではなかった?結構厚遇されていた徳川家康の人質時代
徳川家康は子供の頃に駿河の今川氏に人質として預けられていたといわれますが、待遇面を見てみると決して人質とは言えない様な好待遇でした。では具体的にどんな状況だったのかを説明した記事です。
なぜ徳川家の菩提寺は増上寺と寛永寺2つあるの?
徳川家の菩提寺として有名な増上寺と寛永寺ですが、なぜ2つの菩提寺があるのか?そして各将軍の墓はどちらにあるのか?調べてみると意外な事実がありました。
武者修行の本当の理由
戦国時代に武者修行というと、自分を鍛えるというイメ−ジがありますが、それ以外にも諜報活動や求職活動といった意味合いもありました。そんな武者修行について調べてみた記事です。
日本のクリスマスは戦国時代に始まった!
クリスマスといえば西洋から伝来した儀式ですが、日本でクリスマスが行われ始めたのは戦国時代だという説があります。いったい誰が?いつ?どこで?そんな疑問を調査してみました。
忍者はどのくらい跳ぶ事ができたのか?
俊敏なイメージの忍者ですが、では忍者はどのくらいの距離や高さを跳ぶ事ができたのか?そんな疑問について調べてみた記事です。
明智光秀は敵は本能寺にあり!ってホントに言ったの?
謎が多い戦国史の中でも特にミステリアスなのが本能寺の変です。本能寺を襲う時に明智光秀の定番のセリフ、『敵は本能寺にあり!』ですが、これはホントに言ったのか?調べてみると意外な事がわかりました。

ホーム RSS購読 サイトマップ