忍者はどのくらい跳ぶ事ができたのか?





忍者はどのくらい跳ぶ事ができたのか?

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忍者と聞いて思い浮かべるのが、黒装束に手裏剣をはじめ様々な忍びの道具を待ち、俊敏な動きではないでしょうか?

 

 

実際にはあのような格好はごくまれで一部。

 

 

実際は農民、僧侶、芸達者、山伏に変装しての諜報活動がメインだったようです。

 

 

しかしイメージの様に俊敏さを養う修行はあり、跳躍力については、【六法】という訓練をおこなっていたそうです。

 

 

【六法】とは現代風にいえば、

 

  • 高飛び
  • 幅跳び
  • 横飛び
  • 斜め飛び
  • 前飛び
  • 後ろ飛び

 

という六種類の飛び方です。

 

 

しかも

 

  • 幅跳びでは三間(約5・4メートル)
  • 高飛びでは九尺(約2・7メートル)

 

という距離をクリアすることが一人前の基準とされていました。

 

 

この数字を見て気付かれた方もいると思いますが、幅跳びの5・4メートルは、現在の中学生くらいでも飛べそうな距離ということ。

 

 

しかし当時の人間は身長160センチ以下の人が多かったという説がありますので、その体格からしてみればムズカシイ距離ではないでしょうか?

 

 

一方、高飛び2・7メートルは少しオドロキです。

 

 

現代の高飛び世界記録が2メートル台の前半なので、昔の小柄な忍者が2・7メートルも飛んだとは信じられないくらい。

 

 

これについては現在の陸上競技とは異なり、2・7メートルの塀や木を手足道具を使って飛び越えようというものではなかったかと思われます。

 

 

なので飛び越えるというより、2・7メートルの障害物を【乗り越える】事ができれば一人前と認められたと解釈するべきでしょう。

 

 

子供の頃憧れた忍者も、大人になって探ってみると面白い事実がある事に気付きました。

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