第1話〜30話





第1話〜30話記事一覧

戦国時代って、いつからいつまで?

戦国時代,いつから,いつまで,期間 戦国時代の始まりは、一般に応仁元年(1467)の【応仁の乱】が始まりといわれています。※明応二年(1493)の明応の政変が戦国の始まりという説もあり。では、戦国時代の終わりはというと…あなたはいつだと思います?学説的に戦国時代の終わりは、織田信長が足利義明を奉じて上洛した永禄十一年(1568)といわ...

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徳川家康の遺産はどのくらいあった?

以前、徳川埋蔵金伝説を追ったテレビ番組がありましたが、あのような企画ができたという事は、埋蔵金伝説があったからです。日本を統一した徳川家康の遺産はどのくらいあったのでしょうか?幕末にはかなり減っていたと思われる遺産ですが、家康が亡くなった時点では、諸説があります。一説には金四七〇箱銀四九五三箱があっ...

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天正大判の価値はいくら?

【天正大判】という通貨、ご存知ですか?安土桃山時代〜江戸時代にかけて、主に豊臣家が作らせた通貨であり、当時もかなり高価なものでした。一枚約150g前後もあったといい、金の純度も70〜74%と当時としては高いものでした。ではこの【天正大判】、いったい現在の価値は、いくらくらいなのか?実はこの試算をした...

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三成の忍城攻めはおいくら?

三成,忍城,攻め,いくら,水攻め,予算,雑学 小説や映画で一躍有名になったのぼうの城の忍城(おしじょう)石田三成は秀吉仕込の水攻めで攻略しようとしましたが、結果はご存知の通り。水攻めとは?お城の周りにぐるりと堤防を築き、近くの川から水を引き入れたり、雨季で雨水を溜め込んだりして、お城を水浸しにします。城内は水浸しなので地面がぬかるみ歩行も困難。...

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森蘭丸よりイケメン?!信長の弟・織田秀孝

森蘭丸,イケメン,信長の弟,織田,秀孝 戦国時代には森蘭丸をはじめ、イケメンのエピソードがたくさんありますよね。そんな中、意外と知られていないのが織田信長の8番目(もしくは9番目)の弟・織田秀孝。この秀孝は、守山城主・織田信次との不慮の事故で、若くして亡くなってしまうのです。以下は信長公記に出てくるエピソードです。まだ織田信長が尾張を統一...

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戦国時代の影武者の話

戦国時代,影武者,上杉謙信,武田信玄,徳川家康 下克上や暗殺が絶えなかった戦国時代において、影武者は重要な役割だったんですね。しかし『影』だけに、ほとんどその存在を知られることはなく、記録にも残ることはありませんでした。有名なのは武田信玄。死去の際、弟・信廉(信綱)が影武者を務めたと伝わります。北条氏の使者が信玄の死を確認に躑躅ヶ崎館に訪れた際、...

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なぜ政宗の血液型がわかるのか?

伊達政宗,血液型,何型 伊達政宗の血液型はB型というのは有名な話ですがなぜ戦国武将の血液型がわかるのか?確かに妙な話ですよね。じつはこの謎を解くには、お墓が関係しているのです。政宗は寛永十三年(1636)年に死去しますが、その後、伊達忠宗によって瑞鳳殿(ずいほうでん)が建立され、そこに埋葬されました。この瑞鳳殿は昭和六年(...

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ルソン壺ってどんなツボ?

ルソン壺,正体,千利休,価値 頑張る時に使う言葉『一所懸命』この言葉は、戦国時代を含む日本の中世で、武士たちが命懸けで手柄を立て、主君から土地を貰ったことからできました。つまりかつての武士は、ひとつの土地(一所)をもらうために命を懸けて(懸命)戦い、ようやく小さな土地(所領)を貰っていたワケですよ。しかし!なんと1つの壺(つぼ)...

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海と別れた九鬼水軍その後どうなった?

海,別れた,九鬼,水軍,嘉隆,守隆,その後 九鬼水軍をご存知ですか?現在の三重県出身の九鬼嘉隆が率いた水軍で、織田信長参加となり、毛利方である宿敵・村上水軍を撃破し、戦国最強の水軍として名を馳せました。ちなみに鉄甲船を作ったのも九鬼嘉隆といわれています。さて、その九鬼水軍ですが、絶頂期は信長の存命中で、その後はどうなったのか?信長が本能寺の変...

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お市の方の旦那は二人とも愛知ゆかりの武将!

お市の方,旦那,二人,浅井長政,柴田勝家,愛知,ゆかり,武将 大河ドラマで一躍脚光を浴びた【江】の生母・お市の方。織田信長の妹で、絶世の美女だったとか。さて、そんなお市の方ですが、生涯で二人のダンナさんがいました。ひとりは浅井長政。もうひとりは柴田勝家ですね。この二人のダンナさん、愛知県ゆかりの武将なのです。『え?!』と思われた方もいるのでは?柴田勝家はともか...

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最高齢で子をもうけた武将ではだれ?

最高齢,子をもうけた,武将,だれ,徳川家康,金森長近 明日の命をも知れぬ戦国時代では、子孫を残すことも大事な武士の務めでした。という事で、いくつになっても子作りに励む人もいたようですし、子や孫ができても子孫繁栄に励んでいる人も。ここで気になるのが、子をもうけた武将で最高齢は誰か?そういえば、徳川家康は六十代で十一男・頼房をもうけていますし、小田原北条氏...

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子を一番多くもうけた武将は?

子,一番,多く,もうけた,武将 前回、最高齢をやりましたので、今回は【数】のお話。といっても、系図によってかなりまちまちで、同じ人でも子供の数が違ってきたり、その子供が実は違う人の子だったりと、アバウトな部分があるんですよね。という事なので、あくまで一般論で話を進めていきたいと思います。それと、今回は日本史全体でも見ていきましょう...

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気になる武将の身長

戦国武将,身長,石田三成,伊達政宗,徳川家康,豊臣秀吉 最近のゲームでは、戦国武将がイケメンに描かれています。これを見ると、女性達の憧れもわかりますが、本当のところ、戦国武将の身長はどのくらいあったのか?400年以上も前の事なので、なす術もありません…といいたいところですが、実は数人の身長が分かっているんです。それはどうしてか?まず、その武将が着用したと...

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武士の家紋に嫌われた2つの花

武士の家紋,嫌われた,椿,桜 本には様々な家紋がありますよね。あなたの家の家紋はなんですか?ちなみに私の家は【丸に橘】(←たくさんいる)さて、家紋のルーツは古代にまで遡りますが、現在使われている家紋は、鎌倉時代初期の【武士紋】が基になっているといわれています。もともとこの【武士紋】は合戦の際、敵・味方をハッキリと区別するために考...

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徳川16神将ってだれ?

AKB48って有名ですが、全員の名前言えますか?赤穂浪士も47人の全員の名前言えますか?私は言えません(←こら!)言えないんだけど、歴史を見てみると、名武将をまとめた『四天王』や『●●衆』『▲家老』みたいな集団をたまに見ます。例えば徳川四天王とかね。徳川四天王は言えるんだけど、その四天王に+αの16...

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家康が嫌った妖刀・村正とは

家康,妖刀,村正,松平,清康,広忠 村正(むらまさ)という刀・槍があります。今でいうブランド品の刀で、室町時代中頃から約100年間にわたり、伊勢国・桑名(現在の三重県桑名市)で作られてきました。しかしこの村正を徳川家康は妖刀として近づけませんでした。なぜこの村正が妖刀なのか?それは…徳川家に不幸をもたらした刀まず、家康の祖父と父は、家...

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戦国時代の求人募集

戦国時代,求人,募集 戦国時代の軍隊は、8、9割が農民だったという話は今となっては有名な話ですが、今回はその内部事情のお話です。まず、戦の兆しがあるとします。そうしたら、(1)自領の村々に招集をかけ、(2)兵を集め、(3)戦後解散という流れですが、いくらその領地を治める戦国大名とはいえ、強制的に根こそぎ村人を連れて行くと...

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賤ヶ岳の七本槍はホントは九本槍!あと2人誰?

賤ヶ岳,七本槍,九本槍,誰,武将,名前 賤ヶ岳の合戦といえば、本能寺の変で信長亡き後、秀吉と柴田勝家が戦った戦ですよね。そのときに活躍したのが【賤ヶ岳七本槍】と呼ばれる7人の武将。そのメンバーは福島正則加藤清正加藤嘉明脇坂安治平野長泰糟屋武則片桐且元彼らは秀吉の馬廻衆という近習で、柴田勢の先鋒である佐久間盛政・柴田勝政隊を切り崩しました。...

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豊臣秀頼生存説ってどんなのがあるの?

豊臣秀頼,生存説,鹿児島,真田幸村,天草四郎 豊臣秀頼は大坂夏の陣で、山里丸(山里曲輪とも)にて、母親・淀殿と自害しました話は有名ですよね。しかし!秀頼については、いろんな生存説があるんです。なぜ秀頼の生存説があるのかというと、大坂城落城時、いくら探しても秀頼の遺骸が見つからなかったからです。そしていったいどのような説があるのか?まず有名なのは...

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安土桃山時代の桃山の場所はドコ?

安土,桃山,時代,ドコ,場所 足利義昭が京から追放され、室町幕府が滅んでから、徳川家康が江戸に幕府を開くまでの約30年間を【安土桃山時代】といいます。これは【織豊時代】(しょくほう じだい)ともいいますね。つまり織田・豊臣の時代を【安土桃山時代】、【織豊時代】というワケですが、ここで疑問が出てきます。【安土桃山時代】の安土はその...

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落城した時、城のお宝の命運を変えたの2人の武将

城,落城,宝,松永秀久,明智秀満 戦国時代の城攻めで、もし落城してしまえば城主は自害か討死、そして家族や家臣達も後を追うのが普通でした。城を逃げ出すケースもありましたが、たとえ落ち延びることができても、城内に蓄えたものは自分の手から離れてしまいます。兵糧・武具・弾薬…戦に備えて蓄えられていたものは、敵の手に渡ってしまうんですね。その...

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高齢になっても戦場を駆け巡ったこの武将たち!

高齢,戦場,武将,朝倉宗滴,龍造寺家兼 以前、七十七歳で関ヶ原合戦に参加した金森長近の事を書きましたが、長近以外に高齢で出陣した武将はいたのか?そこで調べてみますと、以外にもほかにもいたんです。そこで今回は人間五十年の時代に、高齢でも戦場に出ていた武将のお話です。まずは越前(現・福井県)の武将・『朝倉宗滴』(あさくら そうてき)彼は七十七...

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真田十勇士って誰?

真田十勇士,誰,メンバー,大坂,陣,真田,信繁,幸村 大坂の陣で真田信繁(幸村)と共に活躍したといわれる真田十勇士この人達はいったい何者なのか?この真田十勇士とは、戦国時代末期から江戸時代冒頭にかけての武将。真田幸村に仕えたとされる10人の勇士のこと。最初にこの十勇士たちが世に出てきたのは、江戸時代中期の【真田三代記】という小説。しかし【真田十勇士】と...

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服部半蔵はやはり忍者だったの?

服部半蔵,忍者,徳川家康,江戸城 『服部半蔵』。この名前を聞けば、誰でも忍者を思い起こすのではないでしょうか?彼は実在の人物で、徳川家康に仕えていました。正式には『服部半蔵正成』。『半蔵』は服部家の世襲で、父や息子も名乗っています。(父は半三とも)伝説では彼は忍術を駆使して活躍しますが、どういうものがあったかというと、(1) 座った...

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猛将・福島正則の意外な内面

福島正則は猛将で知られていますが、彼には意外な一面があったことをご存知でしょうか?恐妻家正則は正室・照雲院(津田長義の娘)に頭が上がらなかったそうです。ある時、正則の浮気が発覚し、怒り心頭した照雲院は薙刀を振り回し夫を追い回しました。さすがの正則もこの時ばかりは逃げ惑うばかりであったといいます。しか...

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参加人数が最も多かった戦は?

参加人数,最多,戦,大坂の陣,関ヶ原,桶狭間 今回は、戦の参加人数についてのお話。戦国時代、いろんな合戦がありましたが、参加人数が最も多かった戦は?気になりますよね。大きな合戦を挙げるなら…川中島合戦、長篠合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣…あたりでしょうか?もちろん当時、第三者のレフェリーみたいな役割の方はおらず、軍勢数はどちらかの軍の自己申告で記録...

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戦国時代の長寿記録

戦国時代,長寿,記録,南光坊天海,北条,幻庵,老人雑話,江村専斎 【人間五十年】といわれていた戦国時代。今回は、高齢で戦場に出ていたワケではありませんが、長生き記録という事で、戦国時代の長寿の人のお話です。戦国時代の長寿と聞いてまずピ〜ンとくるのが、南光坊天海ではないでしょうか?この人物は徳川家康の参謀として、江戸幕府の要職にあった人で、明知光秀と同一人物ではない...

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おれたち三好三人衆!

三好三人衆,三好長逸,三好政康,岩成友通,真田十勇士 今日は三好三人衆のおはなしです。三好三人衆とは、戦国大名・三好長慶に仕えた三好長逸三好政康岩成友通という三人の事です。岩成さんが三好姓ではありませんが、この人は重臣(と伝わります)なんですね。つまり三好長慶の一族&家臣達ですが、この三人、戦国史に非常に深い意味で名を残しているんですね。まず、永禄七年...

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帯は前か横で結ぶようにしろ (加藤嘉明)

今回は【賤ヶ岳七本槍】のひとり、加藤嘉明の名言です。嘉明は家中で、『着物の帯は前か横で結ぶようにしろ』と言っていました。帯は後で結ぶものなのに、それを前か横で結ぶようにしろとは?これに対して嘉明は、『帯を後で結んでいたら、解けた時、両手が後にいっており、非常に危険だ。しかし前か後で結んでおけば、たと...

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火縄銃を無効にする方法

戦国時代に西洋から伝来したと云われる鉄砲。この鉄砲というものが伝来して、合戦の様相を一変させ、織田信長あたりは鉄砲を有効活用し、勢力を広げたと後世に語り継がれています。しかし、この鉄砲。使いこなすことが難しく、持ってさえいれば、必ず戦で敵に大打撃を与えることができるといった兵器ではありませんでした。...

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