徳川家康がキッカケで佃煮は誕生した!





第9話 | 徳川家康がキッカケで佃煮は誕生した!

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東京にも名物がいくつかありまして、そのひとつが【佃煮】ですよね。

 

 

この佃煮、戦国時代にゆかりのある食べ物なんです。

 

 

話は天正十年(1582)、本能寺の変の時にさかのぼります。

 

 

本能寺の変当時、徳川家康は堺見物を楽しんでいました。

 

 

そこへ明智光秀謀反の報せが届きます!

 

 

家康の気の動転は激しく、追い腹を切るとまで言いましたが、本多忠勝や家臣たちに諌められ、とりあえず三河へ帰る事になりました。

 

 

そこで堺から兵庫の海浜方向へ向かい、神岬川(現・住吉区の神崎川)に差し掛かりましたが、あいにく船がありません。

 

 

そこで困っていた家康一団に、いち早く船を提供したのが、摂津国佃村の漁師達でした。

 

 

この頃の佃は『尼崎わき道ゆけば渡し三つ 野里・佃に神崎のしも』と唄われていたくらい水陸交通の要所だったのです。

 

 

漁師達からは船だけでなく、小魚煮も道中食として提供され、それらを食べながら、家康達は必死の伊賀越えを慣行していきました。

 

 

それから二十年余の慶長八年(1603)

 

 

家康は江戸に幕府を開いた時、佃村と隣接する大和田村の領民34人を江戸に呼び寄せ、将軍家に新鮮な魚を納める仕事を与えました。

 

 

そして寛永年間(1624〜43)に、大川(隅田川)の埋立地を与えられ、故郷の佃村を偲んで、【佃島】と名付けられました。

 

 

その後、それまで単なる塩茹でだった小魚煮は、下総方面から入ってくる醤油で煮られる様になります。

 

 

さらに後年、砂糖も加えられたりで、現在の佃煮の原型となっていきます。

 

 

この佃煮は江戸市中で売られ大ブレイク!

 

 

今日では東京を代表する名物までにもなりました。

 

 

なので佃煮は、徳川家康の伊賀越えが無ければ、現在の東京名物にはなっていなかったのではないでしょうか?

 

 

戦国時代と繋がりがあった佃煮のお話でした。

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