アマクチ西瓜とカラクチ利休





アマクチ西瓜とカラクチ利休

千利休,西瓜,砂糖,雲萍雑誌,飛喜百翁

 

 

茶の湯を芸術と呼ばれるほどに高め、茶聖と呼ばれた千利休。

 

 

彼の茶は【わび茶】といい、その極意は余計な手を加えない、あくまで自然のままを貴んだものでした。

 

 

今回はそんな利休と今が西瓜(スイカ)のお話です。

 

 

ある日、利休が飛喜百翁(ひきひゃくおう)という人を訪ねました。

 

 

飛喜百翁は利休の訪問を大変喜び、西瓜に砂糖をかけて出しました。

 

 

戦国時代当時、砂糖はかなりの高級品で、庶民はおろか、限られた人しか口にできない貴重品でもあったんです。

 

 

旬の甘い西瓜にその貴重な砂糖がタップリとかけてある。

 

 

このうえない贅沢なもてなしです。

 

 

しかし利休は出された西瓜をじっと見て、砂糖がかかってない部分だけを食べ、早々に引き返しました。

 

 

帰り道、同行した弟子が疑問に思い、訳を訪ねました。すると、

 

 

『西瓜には西瓜本来の甘みというものがある。そこに砂糖をかけては、西瓜の自然な甘みが損なわれるではないか』

 

 

と怒って答えたという事です。

 

 

ちなみにこの事について、【雲萍雑誌】(うんぴょうざっし)という書物には、利休が、

 

 

『にげなきふるまひなりと笑ひ侍った』

 

 

と記しています。

 

 

道理を知らぬ無粋な奴よ、という意味です。

 

 

アマイ西瓜をカラクチにバッサリ!の利休。

 

 

しかしこれには一理あるワケで、現代でも西瓜には砂糖ではなく塩を少々ふって食べますよね。

 

 

あれは西瓜の自然な甘みを引き出すために少量の塩をふるのだとか。

 

 

あと夏場の塩分補給という効果もあり、定番の食べ方ですね。(ちなみに私は塩をふりませんが…)

 

 

ということで、戦国時代の甘くないお話でした。

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