なぜ木村重成は合戦前なのに食事をしなかったのか?





なぜ木村重成は合戦前なのに食事をしなかったのか?

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『ハラが減っては戦はできぬ』

 

 

現代でも使われている有名な言葉ですね。

 

 

確かに合戦ともなれば、甲冑を着ている敵を倒すワケですから、かなりのパワーが必要で、空腹ですとそれも叶いませんね。

 

 

しかし合戦前なのに、食事をしなかった武将のエピソードが残っています。

 

 

それが木村重成です。

 

 

この人は大坂の陣で、真田信繁(幸村)達と共に大坂方として、幕府軍と戦った武将です。

 

 

大坂の陣の時、重成は出陣前の食事が進まなくなっていました。

 

 

心配した妻が、『食事をしないと戦では十分に働けません』というと、重成は、

 

 

『合戦の時に腹一杯食べて出陣して討たれれば、傷口から食べ物が出て見苦しいだろう?私はそんな思いをしたくないから、出陣前は食事をしないのだ』と言ったそうです。

 

 

常に死ぬ覚悟で戦場に出ていたのですね。

 

 

この夫の言葉に、妻は返す言葉がなかったそうです。

 

 

ちなみに重成は大坂の陣で討ち死にしました。

 

 

享年23

 

 

討ち取られた首が家康のもとへ届けられた時、兜を外すと中からお香の匂いが立ち込めたといわれ、家康を感嘆させたと伝わります。

 

 

討ち取られた時の事を常に考えていた重成の『食』にまつわるエピソードです。

 

 

さて、そんな重成の墓は滋賀県彦根市の城下町・キャッスルロードの中にある宗安寺にあります。

 

 

この宗安寺には佐和山城の移築門もあって、彦根城とセットでオススメできる観光地として有名です。

 

 

滋賀県長浜市の宗安寺

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