第3話 | 見た目とは違う?モヤシパワー
モヤシは見た目の貧弱さから、頼りない野菜に見えてしまいます。
そのために、栄養価も低い貧弱な野菜と思われている方も多いのではないでしょうか?
しかしモヤシの事を調べてみると、トンデモナイ栄養のある野菜とともに、歴史の重要な場面にも出てくるのです。
まずモヤシはビタミンCをはじめ、多くの栄養が豊富に含まれており、様々な病気にも有効といわれています。
さらに身体への働きは
- 疲労回復
- 滋養強壮
- 肝臓機能の活発化
といったものがあり、あの見た目からは想像できませんよね。
なら、これだけ優れた食べ物ならば、古くから重宝されていたのでは?と思い、調べてみますと…
なんと籠城戦の籠城側の食料としても活用されていたのです。
信長たちが活躍していた戦国時代より以前の話。
楠木正成(くすのきまさしげ)という鎌倉〜南北朝にかけて活躍していた武将が、鎌倉幕府軍に追い立てられ、千早城という城に籠城した事があります。
この時、城内の将兵の栄養源として、モヤシをふんだんに食べさせたといわれています。
籠城と聞くと、米と水があれば、なんとかなるのでは?と思われがちですが、これが長期に亘ると、壊血病をはじめ様々な病気を引き起こします。
壊血病とは、ビタミンCの欠乏により起こる病気で、血管壁がもろくなり、少しの事でも出血したり、骨ももろくなる病気です。
そんな病にかかっては敵と戦う前に、病との戦いになり戦どころではなくなってしまいます。
そしてこの壊血病と思われる落城のケースも歴史に残っているんですね。
これも戦国以前ですが、永保三年(1083)に起こった【後三年の役】での話。
この戦で金沢城という山城に立て篭もった清原軍は、攻め寄せる源義家の軍と戦い、米を残したまま落城しています。
この時の落城は冬でしたので、雪を融かせば水になったはず。
なので水・食糧不足となったワケではなく、壊血病による城兵たちの戦意消失によるものではないかといわれています。
ということで育つのも早く、ビタミンCを豊富に含むモヤシは、籠城戦にはピッタリだったんですね。
楠木正成自体、伝説と思われるエピソードが多い人物ですが、この千早城とモヤシの話は、ひょっとしてただの伝説ではない様な気もしてきます。
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