意外とある信玄ゆかりの食べ物





第4話 | 意外とある信玄ゆかりの食べ物

 

 

現在でも戦国時代・武将ゆかりの飲食物が未だに残っています。

 

地域によって様々ですが、ネーミングや味付け等、歴史ファンにとってはウレシイものが多いです。

 

 

そんな中、武田信玄ゆかりの食べ物をピックアップしてみました。

 

 

主に信玄の領国であった甲斐(現・山梨県)、信濃(現・長野県)の郷土料理ですが、全国に名の知られたものもあります。

 

 

 

 

 

 

ほうとう

これは信玄が考案し、陣中食として採用したという説がある食べ物。

 

 

山梨・長野出身の方で、これを知らない人はいないというくらい地元では有名な食べ物です。

 

 

小麦粉に少量の水を加えてクレープ状に伸ばし、好みの大きさに切り分けて食べます。

 

 

名古屋のきしめんを厚くした感じです。

 

 

こうしてできた麺を鍋に入れ、好みで野菜・肉・を入れて食べますが、最近では魚介類を入れたりして食べる方もいるとか。

 

 

戦国時代は麺と味噌を戦に持参すれば、陣笠の鍋を使い、その辺の野草を入れれば、立派な【ほうとう鍋】の出来上がり。

 

 

美味しそうですね♪

 

 

 

 

 

高野豆腐

 

 

山梨では信玄豆腐とも呼ばれ、県内の製造量・消費量は他県に比べ多いとか。

 

 

これも信玄が陣中食として採用したそうで、腐らずカビず、長期保存に適しており、領民の非常食としても奨励したとか。

 

 

 

 

 

信玄塩辛

これはスルメを麹に漬けたもので、千切り状のスルメと麹としょうゆを壷に入れ、蓋をして一ヶ月ほど寝かせて作るものです。

 

 

 

 

 

 

 

信玄寿司

川中島合戦に向かう途中、信玄が沿道の領民に作らせたという逸話があり、桶で塩・飯・酢を混ぜて酢飯を作ります。

 

 

そこに梅干・味噌漬・干し魚等を入れ、最後に笹の葉をかぶせ出来上がり。

 

 

こうして書いてみると信玄●●といったものが結構ある事に気付きます。

 

 

それだけ土地の人に好かれていた偉大な人物という事が伝わってきますよね。

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