海と別れた九鬼水軍その後どうなった?





第9話 | 海と別れた九鬼水軍その後どうなった?

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九鬼水軍をご存知ですか?

 

 

現在の三重県出身の九鬼嘉隆が率いた水軍で、織田信長参加となり、毛利方である宿敵・村上水軍を撃破し、戦国最強の水軍として名を馳せました。

 

 

ちなみに鉄甲船を作ったのも九鬼嘉隆といわれています。

 

 

さて、その九鬼水軍ですが、絶頂期は信長の存命中で、その後はどうなったのか?

 

 

信長が本能寺の変で最後を遂げると、九鬼水軍は羽柴秀吉に仕え、九州平定や小田原の陣で活躍します。

 

 

ここまではまだ順調で、慶長二年(1597)家督を次男・守隆に譲ります。

 

 

しかし九鬼水軍の転機となってしまったのが慶長五年(1600)の関ヶ原合戦。

 

 

豊臣家に恩義を感じた父・嘉隆は西軍、家督を継いでいた守隆は東軍についてしまい、嘉隆は敗れて自刃。

 

 

東軍に付いた守隆も寛永九年(1632)に亡くなってしまいます。

 

 

その後、守隆の息子である隆季と隆久の間で家督争いが勃発し、徳川幕府から分割相続を命じられてしまうハメに。

 

 

隆季は丹波綾部(現・京都府)二万石。

 

 

隆久は摂津三田(現・兵庫県)三万六千石に転封となってしまいます。

 

 

この二ヵ所は内陸部で海に面しておらず、このときより九鬼水軍は、水軍としての歴史に幕を閉じました。

 

 

しかしその後、隆久の三田藩では、水軍の誇りを忘れないために、城の前に大きな池を作り、軍船を浮かべて調練する伝統行事がうまれました。

 

 

 

 

 

 

史跡はココ!

 


そんな九鬼水軍が戦国時代に拠点としていたのが、三重県鳥羽市の鳥羽(とば)城です。

 

 

現在では公園となっていますが、本丸から伊勢湾を臨む事ができ、その景色はまさに水軍というか海賊の城といった感じですね。

 

 

私のメインブログでレポしていますのでチェックしてみてください。

 

 

こちら⇒ 三重県鳥羽市の鳥羽城跡が城山公園になっているので行ってみた感想

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