第1話〜30話





第1話〜30話記事一覧

戦国時代は一日何食だった?

戦国時代,一日,何食 現在では1日3食が当たり前となっていますが、ちゃんと食べてますか?では戦国時代は1日に何食、食べていたのか?日常的に戦が起こっていた時代なので、もしかすると1日4食?もしくは5食?と思われるかもしれませんが、戦国時代はキホン1日2食だったといわれています。朝と夜です。ではいつ頃から三食になったのか?...

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長寿のヒケツ?梅干パワー

長寿,梅干,北条,早雲,年 人間五十年といわれた戦国時代において、88歳まで生きた長寿がいました。それが後北条氏(小田原北条氏)の初代で、北条氏百年の礎を築いた北条早雲です。関東の戦国武将ですね。本人は伊勢新九郎と名乗り、早雲は後世に付けられた名前だとか。それはさておき…早雲は戦はもちろん、五十過ぎの晩婚でありながら、六十一歳...

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見た目とは違う?モヤシパワー

モヤシ,栄養,効果,飲食 モヤシは見た目の貧弱さから、頼りない野菜に見えてしまいます。そのために、栄養価も低い貧弱な野菜と思われている方も多いのではないでしょうか?しかしモヤシの事を調べてみると、トンデモナイ栄養のある野菜とともに、歴史の重要な場面にも出てくるのです。まずモヤシはビタミンCをはじめ、多くの栄養が豊富に含まれて...

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意外とある信玄ゆかりの食べ物

現在でも戦国時代・武将ゆかりの飲食物が未だに残っています。地域によって様々ですが、ネーミングや味付け等、歴史ファンにとってはウレシイものが多いです。そんな中、武田信玄ゆかりの食べ物をピックアップしてみました。主に信玄の領国であった甲斐(現・山梨県)、信濃(現・長野県)の郷土料理ですが、全国に名の知ら...

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意外なスグレモノ 【カツオブシ】

鰹節,井伊直政,大久保彦左衛門,栄養価,ダイエット カツオブシと聞くと真っ先に連想するのが、【ダシ】ではないでしょうか?あと冷奴やお好み焼き、うどん等に一振り、という人も多いのでは?そんなカツオブシですが、戦国時代にすでにあったらしく、しかも重宝されていました。『重宝されていた?美味しいダシを取ることに??』いえいえ、そうではなく、カツオブシは見た目...

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初カツオっていくらだったの?

初鰹,いくら,江戸時代,相場,川柳 【目に青葉 山ほととぎす 初ガツオ】今日は戦国時代というよりも、江戸時代のお話。歌にもうたわれている様に、初夏の訪れをしらせる【初ガツオ】は、江戸時代にも人気でした。しかし人気の高い旬のものは、値段も高いうのが当時の常識。カツオも高かったんですね。そこで江戸時代(といっても数百年間ありますが)いった...

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初めてラーメンを食べた日本人はこの人!?

初めて,ラーメン,食べた,日本人,水戸光圀,織田信長,坂本龍馬 食べ物の好き嫌いは人それぞれありますが、私は未だ【ラーメン】と【カレー】嫌いの人に会った事がありません。それだけこの二つの料理は、すっかり日本に定着しているんですね。今日はそんなラーメンのお話。ラーメンを食べているて、ふと思うのが『日本人はいつからラーメンを食べ始めているのだろう?』という疑問。歴史...

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戦国時代も肉を食べていた?

戦国時代,肉,牛肉,彦根,井伊氏 現在、私たちは様々な肉を食べる事ができますが、日本人は仏教が伝来してから肉を食べる事は禁止されてきました。しかし!それはあくまで表向きなことで、実はたべていたんですよ、『肉』を!これはどういうことか?確かに日本では、大陸から伝来した仏教により、馬・牛・犬・鶏などの家畜を食べることが禁止されていました...

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徳川家康がキッカケで佃煮は誕生した!

徳川家康,佃煮,ゆらい,本能寺,明智光秀 東京にも名物がいくつかありまして、そのひとつが【佃煮】ですよね。この佃煮、戦国時代にゆかりのある食べ物なんです。話は天正十年(1582)、本能寺の変の時にさかのぼります。本能寺の変当時、徳川家康は堺見物を楽しんでいました。そこへ明智光秀謀反の報せが届きます!家康の気の動転は激しく、追い腹を切るとまで...

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明智光秀最後のスイーツ

明智光秀。ご存知、本能寺の変を起こした武将ですよね。なぜ本能寺の変を起こしたのかは、現在様々な説がありますが、当時の光秀の心中も、今となっては謎だらけ。そんな光秀が、本能寺の変の前に食べていたスイーツの話が残っています。それは…チマキです。端午の節句に食べるチマキですね。いったいどのような話なのか?...

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聚楽弟ゆかりの野菜

聚楽弟,ゆかり,野菜,堀川牛蒡,豊臣秀吉 聚楽弟(じゅらくだい、てい)豊臣秀吉の関白時代の建造物ということで有名ですよね。残念ながら秀次時代に破却され、今では文献等でその存在をしるのみです。今回はその聚楽弟(じゅらくてい)ゆかりの野菜のお話です。そのゆかりの野菜の名前は【堀川牛蒡(ごぼう)】。これは通常の牛蒡よりも大きく、中が空洞になってい...

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戦国時代にすき焼きがあった?!

戦国時代,すき焼き,高山右近,蒲生氏郷,細川忠興 戦国時代は仏教の影響もあり、公には動物の肉を食すことは禁じられていました。しかし、肉が意外に食べられていた事は、以前にも書きましたよね。そして今回はなんと戦国時代のすきやきのエピソード。あるんですね。こんな話が…時は天正十八年(1590)秀吉の小田原城攻めの時、秀吉配下のキリシタン武将・高山右近(た...

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桶狭間合戦が無ければ八丁味噌も無かった?!

桶狭間,合戦,八丁味噌,早川,カクキュー,岡崎城 名古屋を中心に東海3県である愛知、岐阜、三重で食べられている赤味噌。大豆を原材料にした味噌で、東海地方の家庭には必ずあるといっていいほど、なじみの深い味噌です。いろんな会社がこの豆味噌を作っていますが、特に愛知県岡崎市にある八丁味噌(はっちょうみそ)は有名なブランド味噌なんです。岡崎城から西に八丁(...

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鰹のタタキが生まれたのは山内一豊がキッカケ?

鰹,タタキ,山内一豊,戦国,武将,高知城 鰹の一本釣りで有名な土佐。現在の高知県ですが、鰹のタタキは山内一豊が発祥という説があります。どういうことか?実は土佐では鰹を刺身で食べる風習がありました。鰹は傷みやすい魚で、現代では釣り上げてすぐに氷水に入れ傷みを防止しますが、戦国時代はそれもできない。それなのに刺身で食べるので、食中毒による死者が...

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上杉謙信の寿命を短くしたといわれる食べ物とは?

上杉謙信,寿命,死因,食べ物,梅干し 今日は上杉謙信のエピソ−ド。謙信はお酒が好きでした。女性をほとんど近づけなかったので、酒の相手には直江兼続がよく命ぜられたといいます。居城・春日山城にいるときはもちろん、記録によると、攻めかかった敵の城の前でゆうゆうと飲んだりしたこともありました。しかし、謙信はほとんどツマミを食べなかったといいます...

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汁かけめしで滅びるのが分かった?!北条氏政

汁かけめし,北条,氏政,氏康,小田原城 大河ドラマ・真田丸で、ごはんに何度も汁をかけて食べる北条氏政が話題になっていますが、あれって実在するエピソードが関係してるんです。では、どういったエピソ−ドなのか?戦国時代に小田原城を拠点として関東を治めていた後北条氏の三代目・氏康と息子の氏政が食事をしていた時の話。当時の食事は、食事を終える時、最...

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これが不老長寿の食べ物だ!

不老長寿,食べ物 今回のこのテーマ。不老長寿の食べ物。いろんな食べ物が昔から伝わりますが、いったいどのようなものがあるのか?調べてみると、これだけありました。人魚の肉石蜜酒泉ウスバサイシン九孔のあわび万年貝う〜ん。なかなか聞かない名前ですよね。これらはいったいどういう食べ物なのか?順番に追ってみましょう。人魚の肉東洋...

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葵の紋を持った魚

葵の紋,白魚,徳川家,大名行列,シラウオ 魚にもいろんな種類がありますが、なんと徳川将軍家の【三つ葉葵の紋】を持った魚がおり、江戸時代にはかなり重宝されたといいます。それが、『白魚』(しらうお)。回転寿司で軍艦巻きで出てくるあの魚です。白魚は体全体が透けている魚で、頭を見ると透けた脳が【三つ葉葵の紋】に見えます。この事から家康が気に入ったと...

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京の味は信長の口には合わなかった?

京,味,信長,味噌,合わなかった 今日は織田信長の味覚のお話です。天正元年(1573)、織田信長は足利義昭を京から追放し、室町幕府を滅亡に追い込みました。その時、義昭と組んでいた三好氏を蹴散らし、三好義継を自害させました。さて、この時、坪内某という三好家に仕える料理人を捕らえましたが、この人は有名な料理人だったそうです。そこで信長の...

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天下人秀吉の意外な好物

天下人,豊臣,秀吉,意外,好物,割粥 数多くの戦国武将の中で、もしかすると最強というのは、豊臣秀吉の事かもしれません。織田信長が成しえなかった天下統一を果たし、江戸幕府を開いた徳川家康も秀吉には勝てませんでした。この秀吉は百姓の子から出世街道を突き進み、天下人となった人です。その天下人・秀吉が晩年に好んだ食べ物のエピソードが残っています...

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アマクチ西瓜とカラクチ利休

千利休,西瓜,砂糖,雲萍雑誌,飛喜百翁 茶の湯を芸術と呼ばれるほどに高め、茶聖と呼ばれた千利休。彼の茶は【わび茶】といい、その極意は余計な手を加えない、あくまで自然のままを貴んだものでした。今回はそんな利休と今が西瓜(スイカ)のお話です。ある日、利休が飛喜百翁(ひきひゃくおう)という人を訪ねました。飛喜百翁は利休の訪問を大変喜び、西瓜に砂...

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日本人で初めてラーメンを食べたこの人!

日本人,初めて,ラーメン,食べた,水戸光圀,朱舜水 食べ物の好き嫌いは人それぞれありますが、私は未だ【ラーメン】と【カレー】嫌いの人に会った事がありません。それだけこの二つの料理は、すっかり日本に定着しているんですね。今日はそんなラーメンのお話。ラーメンを食べているて、ふと思うのが『日本人はいつからラーメンを食べ始めているのだろう?』という疑問。歴史...

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徳川家康の死因は天ぷらってホント?

徳川家康,死因,天ぷら 戦国乱世を勝ち抜いた徳川家康。大阪夏の陣の翌年、元和二年(1616)に死去します。享年七十五歳。人間五十年の時代にしては長生きですね。では死因は老衰?ではなく、【鯛のてんぷらにあたった】という説があります。『ちょっとまって!てんぷらは加熱してるから菌が死滅してて、食中毒なんて起こらないんじゃないの?...

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必勝祈願!出陣前に縁起を担ぐこの食べ物!

本人は古来より縁起を担ぐ事に敏感な民族でした。そして宇宙に人が行って帰ってくる21世紀となっても、冠婚葬祭をはじめ生活のいろいろなところに【縁起が良い】・【悪い】があります。例えば結婚式・引越しは【仏滅】はタブー、葬式は【友引】は不吉など、どこかで聞いたことがありますよね。若い世代ではあまり気にしな...

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宇喜多秀家の長寿のヒケツ!明日葉

宇喜多秀家という人物ををご存知ですか?備前岡山57万4千石の領主で、豊臣家五大老のひとりに数えられた人物ですが、関ヶ原で西軍に付き、戦後に八丈島に流されました。かつては秀吉の養女を娶った、お坊ちゃん大名だった秀家ですが、八丈島での生活は困窮を極めたもので、大変不便だったと記録に残っています。しかしそ...

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宇喜多秀家とおにぎり

関ヶ原合戦で西軍に付き、戦後、八丈島に流された宇喜多秀家。かつては豊臣家五大老のひとりとして重要された人物ですが、全てがひっくり返ったのが関ヶ原合戦と言ってもよいでしょう。関ヶ原の後、秀家は薩摩の島津家にかくまわれていたのですが、西軍の主力として活躍していた人物だけにウワサも広がり、遂に隠しきれなく...

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なぜ家康は白米より麦飯・玄米を好んだのか?

家康,白米,麦飯,玄米,好んだ,長寿,節約,倹約 最近の健康ブームで麦飯・玄米が食される様になってきましたが、味の点では白米に及ばないですね。しかし麦飯・玄米には、白米よりもかなりの栄養素が含まれているんです。だからこそ食されているワケですが、戦国武将にも白米より麦飯・玄米のほうを好んでいた人がいました。有名なのは徳川家康家康がまだ岡崎城(愛知県岡...

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餅のおかげで大名になれた?!藤堂高虎の旗印・白もち三つの由来

餅,大名,藤堂高虎,近江 今日は戦国武将と餅にまつわるお話。後に伊賀上野城などの城主となり、関ヶ原合戦でも活躍する藤堂高虎です。彼は若い頃貧しく、仕官先を求めてさまよい歩く浪人でした。高虎は近江国(現・滋賀県)の出身ですが、仕官先を求め三河までやってきた時、遂に手持ちの資金を使い果たしてしまいます。空腹で歩いていた時、三河国...

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なぜ木村重成は合戦前なのに食事をしなかったのか?

木村重成,合戦,前,食事,しなかった,大坂の陣,首塚,長浜,イケメン 『ハラが減っては戦はできぬ』現代でも使われている有名な言葉ですね。確かに合戦ともなれば、甲冑を着ている敵を倒すワケですから、かなりのパワーが必要で、空腹ですとそれも叶いませんね。しかし合戦前なのに、食事をしなかった武将のエピソードが残っています。それが木村重成です。この人は大坂の陣で、真田信繁(幸村...

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なぜ戦国時代に石臼(いしうす)は必須だったのか?

戦国,時代,石臼,必須,鉄砲,割粥,秀吉 戦国時代の台所でこれが無いと不便!というもののひとつに石臼(いしうす)がありました。現在ではミキサー等でも代用できますが、当時ではやはり貴重品。以前、豊臣秀吉の大好物・割粥の事を書いたときの事。石臼を常備していたと秀吉に思わせ、褒められた僧侶のエピソードがありましたが、この話からも貴重品だったという...

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