猛将・吉川元春の死因は鮭?





猛将・吉川元春の死因は鮭?

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吉川元春という武将をご存知でしょうか?

 

 

この人は毛利元就の次男で、安芸(現広島県)の豪族・吉川家へ養子に入った人です。

 

 

この吉川元春と、毛利元就の三男・小早川隆景が主家である毛利家を支えていたんですね。

 

 

ところでこの吉川元春、とにかく戦が強かったんですね。

 

 

生涯76回の戦に臨み、そのほとんどを勝利しているという猛将でして、武勇は近隣に鳴り響いていました。

 

 

しかしこの猛将・吉川元春が何と鮭で亡くなったという説があるんです。

 

 

どういうことか?

 

 

話は天正十四年(1586)、秀吉の九州攻めに参加した時の事です。

 

 

この時元春は57歳。しかも化膿性炎症(一説には癌とも)を患っており、病をおしての出陣でした。

 

 

そんな中、陣中において黒田官兵衛(如水)から鮭を送られます。

 

 

この当時九州で鮭を入手するのは、とても困難な事でした。

 

 

なにしろ海運も発達していない上に、産地である東北の諸大名がまだ秀吉に臣従していなかったのです。

 

 

なので当時の鮭はかなり貴重だったんですね。

 

 

しかし元春の病にとって、鮭は病状を悪化する食べ物でした。

 

 

なのに元春は貴重な鮭を贈ってくれた官兵衛に感謝し、食したと伝わります。

 

 

しかし案の定、鮭を食べた後、病状は悪化。まもなく死去してしまいます。

 

 

体に悪いと知りながらも、贈られた貴重な鮭を食べた元春。

 

 

猛将の義理堅さが伺えるエピソードです。

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