軍勢の中に職人や僧侶がいた理由
戦国時代の軍勢の多くは領民(ほとんと百姓)という話は有名ですが、今回は戦闘員以外のお話。
戦国時代の軍記類の中には、僧侶・大工・その他の職人の名がたまに記されている例がありますが、これはどういう事でしょうか?
まず、僧侶は戦没者供養というよりも、その知識を戦術に活用していたようです。
現代では学問を学ぼうと思えば誰でも学べる世の中ですが、戦国時代は限られた人しか学問に接する機会がありませんでした。
そんな中、僧侶には長い修行で兵法や天文学を学んだ者もおり、戦国大名に重宝されました。
また武田信玄・上杉謙信といった武将も、寺で学問・兵法を学び、戦で活用したことは有名ですよね。
次に大工。
この人達は陣中に柵や小屋を作るときに活躍したようです。普段は百姓の足軽たちが小屋を建てるよりも、専門家が建てたほうが、早いし丈夫だったのでしょう。
この大工さんたちも普段から重宝されており、例えば小田原北条氏(後北条氏)は、戦が無い平穏な時から藤沢(現・神奈川県藤沢市)の大鋸引(おおがひき)という製材職人集団に特権を与え保護していました。
徳川家康も大和国(現・奈良県)の中井正清という大工をわざわざ召しだし、戦陣に加えています。
あと意外な例では、武田信玄が鉱山技術者を連れて戦に出ていた事です。
なんのためかというと、篭城している敵方の城の水脈近くで穴を掘り、井戸水を抜くという奇策のためです。
実際これが採用された戦いが記録に残っており、それが信玄最後の攻城戦となった三河野田城(現・愛知県新城市)です。
武士以外の人達も合戦で活躍していたというお話でした。
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