なぜ徳川家の菩提寺は増上寺と寛永寺2つあるの?
徳川家の菩提寺が2つあるのをご存知ですか?
増上寺と寛永寺です。
でもなぜ徳川家の菩提寺がなぜ2つあるのか?
素朴な疑問から調べていくと、なるほどな事実がありました。
まず、芝の増上寺が家康によって徳川家の菩提寺として決められました。
家康が小田原北条攻めの論功行賞で関東に移ってくると、家康は早速、徳川家の菩提寺探しを始めます。
そこで当時の徳川家の宗旨と同じ浄土宗の増上寺があったので、菩提寺に決められました。
しかしこの後、【南光坊天海】という天台宗の僧侶が家康に接近します。
この天海、実は山崎の合戦で生き残った明智光秀ともウワサされた人物で、識学豊富なお坊さんでした。
家康に重用され、家康没後は朝廷に働きかけ、家康に【東照大権現】の号を授与させたりしています。
そうした働きもあり、天海は二代将軍・秀忠や三代将軍・家光からもすっかりお気に入りとなり、天海は徳川幕府内で絶大な力を持つようになります。
その天海のススメで寛永二年(1625)、創建されたのが寛永寺。
当初、寛永寺は徳川家の【祈願寺】という位置付けでしたが、三代将軍・家光は自分の葬儀は寛永寺に行わせ、遺骸は家康の廟がある日光へ移すようにと遺言。
その後、四代・家綱、五代・綱吉の廟は寛永寺に営まれ、寛永寺は増上寺とともに徳川家の菩提寺となりました。
これに増上寺が反発!
ならば交互ということで、六代将軍・家宣の廟が増上寺に造営されて以降、歴代将軍の墓所は寛永寺と増上寺に交替で造営することが慣例となり、幕末まで続きました。
菩提寺が2つになってしまった徳川。
初代・家康は日光東照宮。三代・家光は日光山輪王寺に眠りますが、その他だれがどっちの菩提寺なのか整理すると、
増上寺
- 二代・秀忠
- 六代・家宣
- 七代・家継
- 九代・家重
- 十二代・家慶
- 十四代・家茂
寛永寺
- 四代・家綱
- 五代・綱吉
- 八代・吉宗
- 十代・家治
- 十一代・家斉
- 十三代・家定
という事になるんですね。
『あれ?だれか足りないのでは?』
そう思われたあなた!スルドイです ^^
そう、ココには最後の将軍・慶喜の名がありません。
なぜなら彼は大政奉還後、一華族になってしまったので、【将軍】として死ぬことができなかったんですね。
なのでどちらにも入れてもらえず、庶民と同じ様に東京の谷中墓地に葬られています。
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