戦国武将の初陣はいくつくらいだったか?





戦国武将の初陣はいくつくらいだったか?

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戦乱の世の戦でデビューは、いったいいくつくらいだったのか?そして気になるアノ人の初陣は?

 

 

まずは織田信長。

 

 

信長の初陣は14歳の時。この時は当時の宿敵・今川氏の領地に火を放ち、居城に帰るといった戦というよりセレモニーみたいなものでした。

 

 

続いて徳川家康。

 

 

彼の初陣は17歳で、当時の主君・今川義元の命で三河寺部城(現在の豊田市寺部城)という城を攻めたもの。

 

 

城攻めが初陣だったのです。

 

 

そして加賀百万石の祖・前田利家と湖北の雄・浅井長政の初陣は共に14歳。

 

 

独眼流政宗は15歳です。

 

 

あと戦乱の世では、元服、つまり大人としての儀式の以前に合戦に出て行く武将もいました。

 

 

有名なのが毛利元就の次男・吉川元春で、彼の初陣はなんと12歳!

 

 

当時と現代では暦が違い、年のかぞえが1年近く違うのですが、それでも現在の小学校6〜中1くらいですね。 ^^;

 

 

一方、ほとんどの武将が10代で初陣を飾ったのに対し、22歳という遅いデビューの武者もいました。

 

 

長宗我部元親です。

 

 

彼は子供の頃、とてもおとなしかったので【姫若子】といわれ、父親もいつ頃初陣を飾らせるか迷っていました。

 

 

そうこうしているうちに22歳になってしまったワケですが、初陣以来の活躍はめざましく、後に四国全土を切り取りました。

 

 

初陣の年は様々ですが、初陣までの事情は人それぞれだった様ですね。

 

 

 

 

【参考文献】
・戦国時代の舞台裏 (青春出版社)
・日本史が100倍面白くなる本 (青春出版社)
・最新版 角川新版日本史辞典 (角川書店)
・戦国の意外なウラ事情 (PHP研究所)

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