日本初の大砲!フランキ砲とは?戦国日本に大砲が普及しなかった理由
戦国時代に鉄砲はありましたが、大砲は無かったの?という疑問をお持ちの方、大砲ありましたよ。^^
記録によれば、関ヶ原合戦の際に西軍・石田三成の陣に大砲が備え付けられており、東軍の黒田・細川両軍の撃退に使用されたとか。
また大坂冬の陣の時、徳川方が大坂城に打ち込んだ大砲の弾が天守に命中!
この時、豊臣秀頼の侍女が死亡し、淀殿がパニックになり和睦へと向かっていきました。
こんな感じで戦国時代後期になると大砲も活躍しはじめるんですね。
では、大砲はいつぐらいから登場し始めるのか?
このルーツは九州にあります。
天正四年(1576)、キリシタン大名の大友宗麟が、宣教師から譲り受けたものが、日本で最初の大砲といわれています。
この時の大砲が【フランキ】砲という名前だったんですね。
大友氏はこのフランキ砲を【国崩し】と名付け、自領の臼杵城(現・大分県臼杵市)に配備しました。
後に島津軍が臼杵城に『攻め込んできたとき、この国崩しで大いに驚かせたと伝わります。
この大友氏もそうですが、日本では大砲は防御的な役割であって、責める兵器としては大坂の陣くらいにしかなかったんですね。
それはなぜか?
いくつか理由がありますが、ひとつは日本は【山岳の国】であった事。
移動が大変だったんですね。
あの大きい鉄の塊を持っての移動は、かなり大変だったでしょう。
次に普及し始めた時には、天下が統一し始められていたという事。
戦が無くなりかけていた頃に普及し始めようとしても、広がりませんよね。
あと高価過ぎたことや、弾の火薬の調達が大変だった事もあげられるようです。
しかしこの大砲の本格普及が織田信長の存命中である戦国乱世の時だったらどうなっていたか?
時代は変わっていたかもしれませんよね。
今となっては歴史のIFですが、そういうとこにも歴史の楽しみが隠されている様な気もしますよね。
関連ページ
- 戦国時代の合言葉
- 戦国時代の敵味方入り乱れる合戦で、どうやって味方やを見分けたのか?その判断のひとつに合言葉があります。その合言葉についての記事です。
- 天正遣欧少年使節団の少年たちは帰国後こうなった!
- 天正十年(1582)に海を渡ってヨーロッパに向かった4人の少年たち、いわゆる天正遣欧少年使節団ですが、日本に帰国後どうなったのかを調べてみた記事です。
- 剣豪将軍ってどんな人?
- 戦国時代に剣豪将軍として名を馳せた足利義輝について説明した記事です。
- 軍勢の中に職人や僧侶がいた理由
- 戦国時代の合戦中の陣中には職人や僧侶がいたことがわかっています。なぜ戦わない僧侶や職人が陣中にいたのか?それには理由があったのです。
- 関ヶ原合戦後、石田三成の子孫はどうなった?
- 関ヶ原合戦で西軍の総帥を務めた石田三成ですが敗れた後、石田三成の子孫はどうなったのか?実は後世に子孫が続いていたのです。
- 戦国武将の初陣はいくつくらいだったか?
- 戦国武将の始めての戦、つまり初陣はいくつくらいだったのかという疑問を調べてみました。今回は織田信長、前田利家、毛利元就、伊達政宗そして長曾我部元親の初陣の年を比較してみました。
- お市の方って信長の妹じゃなかったの?近江の浅井氏と尾張の浅井氏
- 戦国一の美女といわれる信長の妹・お市の方は、最近では信長の妹ではなかったといわれていますがそれはなぜなのか?という疑問を調べてみたら興味深い事を発見しました。その記事です。
- 徳川家康生誕地の愛知県岡崎市に秀吉と蜂須賀小六の石像がある理由
- 徳川家康で有名な愛知県岡崎市に豊臣秀吉と蜂須賀小六の石像がありますが、なぜ二人の石像が三河国にあるのか?調べてみるとなるほど!と思うことを発見できました。sの記事です。
- 竹千代は人質ではなかった?結構厚遇されていた徳川家康の人質時代
- 徳川家康は子供の頃に駿河の今川氏に人質として預けられていたといわれますが、待遇面を見てみると決して人質とは言えない様な好待遇でした。では具体的にどんな状況だったのかを説明した記事です。
- なぜ徳川家の菩提寺は増上寺と寛永寺2つあるの?
- 徳川家の菩提寺として有名な増上寺と寛永寺ですが、なぜ2つの菩提寺があるのか?そして各将軍の墓はどちらにあるのか?調べてみると意外な事実がありました。
- 武者修行の本当の理由
- 戦国時代に武者修行というと、自分を鍛えるというイメ−ジがありますが、それ以外にも諜報活動や求職活動といった意味合いもありました。そんな武者修行について調べてみた記事です。
- これだけあった!現代使われている日本刀の用語
- 現代人の日常生活で日本刀にまつわる用語を調べてみました。すると意外にたくさんあったので、ここでどんな用語があるのかを記載してみたいと思います。
- 日本のクリスマスは戦国時代に始まった!
- クリスマスといえば西洋から伝来した儀式ですが、日本でクリスマスが行われ始めたのは戦国時代だという説があります。いったい誰が?いつ?どこで?そんな疑問を調査してみました。
- 忍者はどのくらい跳ぶ事ができたのか?
- 俊敏なイメージの忍者ですが、では忍者はどのくらいの距離や高さを跳ぶ事ができたのか?そんな疑問について調べてみた記事です。
- 明智光秀は敵は本能寺にあり!ってホントに言ったの?
- 謎が多い戦国史の中でも特にミステリアスなのが本能寺の変です。本能寺を襲う時に明智光秀の定番のセリフ、『敵は本能寺にあり!』ですが、これはホントに言ったのか?調べてみると意外な事がわかりました。